羊と鋼の森を読んでー音楽を演る人は絶対に読むべき本ー
こんばんは..
2016年本屋大賞を受賞した「羊と鋼の森」を読んだので,感想を書きたいと思う.
僕が,この本に出会ったきっかけは,別冊マガジンで連載詩を載せていた最果タヒさんの新しい詩集が売り出されることを知って,新宿の紀伊國屋書店に行ったことが発端だ.(紀伊國屋書店では,最果タヒさんのサイン入り本を買うことができた)
その時に,本の紹介コーナーで目にしたのがこの本と,「君の膵臓をたべたい」だった.
ただ,その時は本を読む暇が無かったので,いつか機会があったらと思って後回しにしていたが,やっと時間ができたので読むことができた.
ひとことで言うと,「風のようだ」った.
わりと分厚い本だったが,2日程度で読むことができた.非常に空気感の素敵な本だった.
この本は「ピアノの調律師」になった少年の話である.まず「調律師」という言葉が聞き馴染みが無いかもしれない.僕は昔からピアノを弾いていたから,たまたま小さめのグランドピアノが家にあり,調律師を読んで調律をしてもらった経験があったからすぐに理解できたが,一応説明しようと思う.
ピアノも,実は鍵盤を叩くことで後ろの羊のフェルトがついたハンマーを動かし,弦を叩き振動させることで音を鳴らす,いわば弦楽器である.ギターなどをする人はわかると思うが,弦楽器は音がブレやすい.僕はバンドでギターを弾くからギターで説明するが,チューニングというものを弾くたびに行い,弦の張り具合を調整し,音を適切な状態にする必要がある.
ピアノも同じで,時間が経つごとに少しずつずれていくのだ.それを調整してくれるのが「調律師」だ.(と思っていた)
この物語では,調律師は音を調律するだけに留まらず,弾く人の欲しい音にするまでが調律師の仕事であるように書いている.欲しい音,を僕は考えたことがなかった.
例えば音がずれていればそれは間違った音なのだから直さないと弾けない.ただ,それだけではなかったのだ.
その人が弾いている時に表現したい音,というものがある.例えば”朝陽が入ってくるような柔らかい音”であったり,”子供が弾いていた頃を思い出すような懐かしい音”である.音楽をする人は,”自分の出したい音”を常に考えないといけない.それは一個に定まらず,その日の天気であったり気分であったり,雰囲気であったり,楽器の具合であったりする.僕の好きな友達のバンドのボーカルが,”今日はギターが緊張してる”って言っていて,そういうことなんだろうなって思った.
出したい音があるはずなのである.
表現したい音があるはずなのである.
それは自分にしかわからないし,それに気づかないといけない.
楽器と演奏者は1対1であり,対話しながらお互いの調子を考えながらその時にあった演奏をする(べき)であるのだ.
ただ,与えられた音楽を弾けばいいというだけじゃない.
そういう気付きを得た.
音楽家は,曲があるから弾く,ではない.”その曲をどのように弾きたいか,どう伝えたいか”を考えなければならない.
明るく静かに澄んで懐かしい文体
少しは甘えているようでありながら,きびしく深いものを湛えている文体
夢のように美しいが現実のように確かな文体
これが外村の目指したい音だった.
音楽家である僕達も,目指したい音を模索し作り上げていかなければならない.そうでないと音楽に失礼だ.
音楽家はこの本を読んで,もう一度立ち返って音楽に向き合って欲しいと思う.