時計の秒針音

少しずつコツコツ意味を貯めてく

ポケモンを通して夢を見ていた

先日ポケモンのMVが発表された.楽曲はBUMP OF CHICKENが提供しており,曲名は「Acacia」だ.


【Official】Pokémon Special Music Video 「GOTCHA!」 | BUMP OF CHICKEN - Acacia

※この記事は,バンプのファンというよりもポケモンを通して成長してきた1人の人間としての感想です.

このMVは,初代から最新作までのポケモンを,男の子と女の子目線で総ざらいしていき,先につながっていくというコンセプトのものだ.

父がゲーム好きということもあり,僕の生活には小さな時からゲームが存在していて,ポケモンもその一つだった.小さいながらにキャラクターたちに夢中で,架空のポケモンを自由帳に書いたりしたり,「いつかポケモンがいる世界になる」と信じていた.

多くの人がポケモンを通ってきたと思う.そこにはありとあらゆる想い出があって,泣いたり笑ったりしていたはずだ.新しいポケモンのタイトルが出れば,友達らとその話題でもちきりになったのを覚えている.それはなにかわからないキラキラしたもので溢れていた.

このMVの男の子と女の子は,ポケモンの世界の中で旅をしていて,多くのことを経験し,それは昔抱いていた自分の想像する未来「こういう世界がいいな.僕もこういうことを経験したい」と合致する.そして,現実と対面する.

ポケモンは,多くの大人によって作られている.そして,それを子供たちが接することで夢を与える.大人たちは,決して経験できないいわば「夢の舞台」を創造する.僕は夢を見ていた.ただ,いつまで立っても僕の生活にはポケモンはいなかった.夢だった.

作品を作るということは,ある種「非現実を作り出す」ことだと思う.小さな頃はそれを非現実だとは全く思わず,「未来のあるべき姿」だと錯覚し,それを信じていた.今僕は大人になり,それは夢だとわかってしまった.現実は重く苦しい.

大人たちは,そんな苦しい現実から逃避するように夢を作り出す.それはとても明るく楽しい夢で,夢の中ではなんだってできるのだった.その夢は子どもたちに夢を見させる.子どもたちは夢の中で生きていた.

グリーンやブルー,レッドらは,このMVの中で生きていて,僕の記憶の中でも生きていた.変わったのは僕だけだ.時間が経ってしまった.でも確かにこの記憶の中にはあった.

ポケモンを通して夢を見ていた.それが夢だと知っていて,なお見ないようにしていた.「いつかは...」という期待を心のどこかで願ってしまったんだ.「Acacia」を聴いていた僕の隣にピカチュウはいなくて,代わりに車が走っていた.昼食時間と名付けられた時間内にコンビニで買ったサンドイッチを食べている.自由とは正反対だ.生きるために仕事をして,対価として金をもらっていた.その金で生きていた.僕ができることは,苦しい現実から逃避するような夢(しかもそれはとても幸せな夢)を作り出していくことなんだと思った.

それでもまだ旅をしたいと願っている.