時計の秒針音

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千と千尋の神隠しを別の視点から捉え直す

今,「一生に一度は、映画館でジブリを。」という企画で,各映画館で「風の谷のナウシカ」含む4作品を再上映している.

 

僕は当然4作品全部見るつもりでいて,今日千と千尋の神隠しを改めて観た.

もう何十回も観ている映画だが,今日一つ疑問を持った.

いろんなまとめ記事では,「千尋の成長の物語」と書かれているが,ハク(ニギハヤミコハクヌシ)を救うための物語として見ることもできるのではないだろうか,ということ.

 

確かに,あの世界に迷い込んだ千尋は,最初のときと最後のときで大きく成長している.しかし,それに付随するサブストーリーがかなり濃いと思ったのだ.

 

なので,千尋の目線ではなく,ハクの目線から千と千尋の神隠しを捉え直してみたい.

 

 

 

物語中盤から,ハクは千尋と同じようにあの世界に迷い込み,「もう戻るところがない.魔法使いになりたい」と湯婆婆に近づき,魔女の契約を交わした.結果自身の名前を忘れ命を削られながら奴隷のように生きていた.

ハクは「ニギハヤミコハクヌシ」という,昔千尋が住んでいた河の神だ.都市開発のせいで河はなくなったという話がされていた.つまり戻るところが無いのは,河を都市開発のせいで潰されたからだ.

ここで宮崎駿のことを考えると,確かに幼女好きで有名だが,それと同じくらい自然を愛する人物である(と僕は思っている).であるとすると,高度成長に伴い失われていく自然に対して危機感や虚無感を抱えていることは間違いない.

もののけ姫では,自然(神々)と人類は共存をするためにどうすればよいか,ということを投げかけていた(ざっくり).しかし,結果現在自然は破壊されつくされ,再び自然を取り戻す動きはあるものの,それは以前あった自然とはまた違うものである,という終わり方をしている.

そして,現実では開発が進み自然が無くなっていき,以前は生物と常に共にあった河は減っていき,小さい子供たちはそこに河があったことを知らないで大人になっていく.そんな自然に対しての宮崎駿の思いが込められているように感じた.

当時もののけと同様の河の神であったハクは,居場所を失い,魔法で取り戻そうとしたのではないだろうか.しかし,名前を取られそのまま衰弱して行くしかない今は失き河の神に,どうにか救いを与えたいと宮崎駿千尋をあの世界に呼び出したと考えることもできる.

 

銭婆は「一度会ったことは思い出せる.忘れてしまっただけで」というふうに話している.

ハクは坊を連れ戻す代わりに,千尋たちを元の世界に戻すよう湯婆婆に交渉する.

その時

「それでお前はどうするんだい?私に八つ裂きにされてもいいんかい?」

のシーンで,ハクは運命を悟るような表情をしていた.その時は,もう殺されることを覚悟していたと思う.

そして,銭婆のところに迎えに行き

「白龍,あなたのしたことはもう咎めません.その子を無事送り届けなさい(うろ覚え)」と言われ,自分の命に変えても千尋を元の世界に戻そうと決意する.

 

そして忘れてしまった以前の自分の名前を,千尋接触することで取り戻す.本当の自分の名前を取り戻した時,真に湯婆婆の呪縛から解き放たれ,八つ裂きにされる運命を逃れる道ができたのではないだろうか.

一見すると,千尋を元の世界に戻すための使者のような立ち位置に見えるが,実は使者は千尋の方だったというわけだ.

河はなくなってしまった.しかし,ある人はそこに河があったことを覚えている.

「名前は記憶」ということ.

湯婆婆に名前を取られ,本当の名前を忘れてしまうと元の世界に戻れなくなる,というのは比喩で,本当は忘れ去られて消えてしまう者たちを,あそこに留めることで生き続けさせるということなのではないだろうか.

名前を失うということは,人から忘れ去られていくということだ.ハクのことを忘れてしまっていた千尋は,あの街に行くことで思い出し,ハクも生きることができた.神は忘れされた時にその存在が消える,というのはよく言われることだ.それは神だけじゃなくて人もそうだ.

 

「どうか失われていく自然を思い出してほしい.そこには君が小さな頃よく観ていた神様がいたことを.」

という宮崎駿の願いが込められているような気がしてならない.