時計の秒針音

少しずつコツコツ意味を貯めてく

泥のような

題名を決めずに書き始めている.

というのも,題名を決めてしまうと,書かなければいけないことが,その題名に引っ張られてしまい,本当に書きたいことが書けなくなってしまうからだ.

 

人の,悪意を持った/持たない言葉を,僕には跳ね返す力がほとんどなく,大体は「あはは」と笑ってすます.それが一番ラクだし,人に嫌われないからだ.

 

そうやって,僕は知らないうちに心のドロドロをために溜め込んでいたみたいで,ふと何がきっかけでもなく,袋に穴が空いて一気に噴出した.

 

僕は孤独である.と思っていた.

 

(たくさんの人に(思いもよらない人たちに),たくさんの優しい言葉をいただいて,僕はなんて愚かなことを考えていたんだと思いました.今も思っています.本当にありがとうございます.)

 

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とあるすごく小さな出来事がきっかけで突然,ほんとうに突然自分の需要が無いように感じた.そこから一気に今まで溜めていた黒いものが脳を覆い尽くし,だめになってしまった.

 

 

始まりは,ねねちゃんにサポートの話が出始めてからだと,今は思う.確かにねねちゃんはとても魅力的で,愛嬌があってとっつきやすくて楽しくて,表情豊かなドラムを叩く.僕が一番彼女の良さを知ってる.本当に自慢のドラマーだ.

サポートの話が来るのは当たり前のことだと思うし,いいことだと思う.喜ばしい.ただ,その話を僕を全く含めずに進められていたことがあった.それは以前にもあったし,ついこの間にもあった(以前に関しては解決した).ただ,僕は今まで本当にたくさんの人にノクターンをやめられて,そのたびに笑い話のように話していたが死ぬほど傷ついていたし,もうメンバーを失うのは懲り懲りだし死にそうである.ねねちゃんには絶対やめてほしくない.フィーリングが合い,とても生きやすいんだ.二人でノクターンだと思っているからだ.

今僕たちはノクターンという形を形成するのに精一杯で,他に手をのばすことができないと思っている(僕だけかもしれない).だからサポートは両立は難しいんじゃないだろうか,と思う(僕だけかもしれない).だから,とてもわがままだけれど,その場で断ってほしかったんだ 笑

 

また「笑」とかつけるし救えないな.

 

今まで本当にたくさんのメンバーを失ってきた(一部は裏切られてきた)から,続けてもらうことに自信が無いんだと思う.どんなに言葉をかけられても,心のどこかで「でも,もしもっといい話があったら離れていってしまうのが人間だしな」と思ってしまっている.とても悲しいことだ.僕の音楽を好きだと言って,ついてきてくれているのにすごい失礼なことだよな,と思う.自信無いんだなー.どうにか信じたいと思っているんだ,基本信じているんだ.絶対信じたいし,やめることはないよなとわかっているのに...哀しいな.

どうすれば心の底から信じることができるんだ.

僕は人を信じることが極端に苦手らしい.

 

だから,サポートの話を僕抜きでしてくる人は,途端に僕の敵になってしまう.ねねちゃんは優しいから当たり障りなく断っている(と思う).なんで僕が隣にいるのに,僕に話を振らないの?この人は.

どうして僕の目の前でサポートドラムの話を僕抜きでできるの?

ノクターンは二人でノクターンなんだよ?なんでそれを自分の利益のために壊そうとするの?

僕が見えていないの?

 

僕は辛かった.ただ,サポートドラムの話が出ること自体はいい事だから,「良かったね」と笑っていた.

結局この男は最後まで僕に話しを降ることはなかった.

「サポートドラムやりたくないんだったら,「サポートは受けてないんです」って断って良いんじゃない?」
「あの人のサポートは嫌だ 笑」

あの人じゃなかったら良かったのかな,とか思ってしまうくらいに疑心暗鬼なんだ.心が弱すぎる.僕よりいい音楽を作る人がいたらさらっと去ってしまうんじゃないかな,他の人達みたいにさ.

そうやって考え込んで,「いやいやそんなことないし,馬鹿だな僕は」と黒い泥みたいなものを飲み込んだ.

 

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ライブが終わると,話しかけてくれる人たちがいる.本当にありがたいことだ.「ほんとに良かったです.」とか自分の中に巻き起こった言葉にならないものを必死で言葉にしてくれようとする人たち.僕はそういう言葉に救われている.

「ドラム良いね〜〜」と声をかけてくれる人が多い.そして,その後に「ギター君もなんかすごかったね」って伝える.僕にはその一瞬の隙間をとても感じとってしまう.無理やりに褒めなくて良いんだよ.僕のこと,何もわからないでしょ.あなたが聞いていたのは,ノクターンの音楽では無いんだな,言葉でもないんだな,といつも思う.

二人で一つであるから,同等に見てほしい,というのが正直なところである.なぜ,後ろと前じゃないか.横並びで音楽をしているのか.ライブ中に,いくら目を強く見開き「俺も見てくれ!命を削って歌っているんだ!二人を一つとして見てくれ!!頼む!!!」と訴えたところで見られることはなく,ステージ上の自分がとても滑稽に感じてしまった.ああそうか,僕は結局影なんだな.

個人じゃなく,ノクターンという一つの音楽をしっかり見てほしい.でも最近そういう事が多くて,僕じゃなくてもいいじゃないか,と思うようになってしまった.ノクターンのフレーズを弾く誰かがいて,ねねちゃんがいればノクターンは完成してしまうと.

僕はただ楽曲提供するだけの人で事足りるのではないだろうかと,とてもとても哀しくなってしまった.ぼくがいる意味は?

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曲を作る,詩を書く以上,ある一定の自己承認欲求がある.誰かに認められたいという気持ち.それは間違いない.ただ,その気持ちと同等な立ち位置に自己否定感がある.「自分はこんな曲がかけるんだ!こんな歌が歌えるんだ!こんな面白いことができるんだ!見て聞いて!感想を教えて!!」という気持ちと,「僕がいなくても良いんじゃないか.僕個人には価値がないんじゃないか.」という気持ちである.

ねねちゃんがサポートに引っこ抜かれるのであれば(他人に求められる需要があるのであれば),自分もそれくらい他人に必要とされる必要がある,二人で一つだから.

そうして,知らない間に自分の存在価値が曖昧になってしまった.誰か僕に必要だよと言って.僕はあなたが必要だけれど.

僕がいて,ねねちゃんがいて,はじめてノクターンなんだよ.苦しいな.

 

 

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ツイッターで溢れ出てしまった言葉を書き連ねた時,反応なんてないと思っていた(せいぜいあってもいいねくらいだと思っていた)のに,温かい人達から温かい言葉をたくさん頂いた.自分はこんなにも視野が狭かったんだなと感じた.自分のことを信じて,自分たちのことを愛してくれる人たちの言葉を信じて,と伝えてくれた.僕の音楽を信じてドラムを叩いてくれるねねちゃん,ノクターンの音楽を愛してくれる人,この人たちだけは絶対に信用しないとだめだ.信用し,信頼しないといけない.そして,僕はもっと自分に対して自信をつけないとだめだな.

自分にとって嫌なことを言ってくる人がいて,その人の言葉を鵜呑みにしてしまうことは,僕たちのことを,僕のことを愛してくれている人たちのことを裏切っていることと同義だと,教えてもらった.

大切な人たちだ,一生かけて恩返ししたいと思っている.

 

 

少し疲れてしまった.嫌いなものにまで笑う気力もないから,これからは嫌いなものには嫌いだとはっきり言うことにする.

まだ,僕には人を信じるための力が少ない.でも多分この時くれた言葉は真実であるということはわかった.

心は弱っているけれど,少し笑えるようになりました.みんなのおかげです.ありがとう.

 

こんな僕でよければ,またライブハウスで僕と会って,一緒に笑い合いたいです.

心配をかけて,不安にさせて,嫌な気持ちにさせてごめんね.