文に線を引く
文章に線を引くという行為について,ずっと疑問だった.
線を引く,という行為は,重要な場所という目印をつけるという意味だからだ.
重要ではない場所とは一体どのような文章なんだろうか.
作者にとっては,どの文も欠かせない重要なものであり,一つ削れたら意味は途端に破綻してしまう.
だからこそ,安易に「文を抜き取る」という行為はできないと僕は思っている.
ただ,重要なところ,心に残ったところに線を引く人がいる.
その本を読み返した時に,「ああこの間の私はここで何かを感じたんだな」と物思いにふけるのかもしれない.ただ,それは本を読むことの本質ではないと思っている.
例えば参考書であれば,自分に必要な場所だけ線を引くことは問題ではないと思う.ただ,題名を与えられた文章において,それをすることはかなり愚かな行為な気がしてならない.
特に詩において,文を「抜き取る」という行為は大きな問題だ.
メディアが事実のある一点を抜き出して報道するのと同じだろう.自分の都合の良い言葉を拾い集めるだけ.辞書代わりの詩集や物語,そんな人の音楽が評価されているのがとても皮肉に思う.
線を引く行為は,とても危うい.
自分の表現の外の言葉を探し求めるのは良いと思う.
ただ,「線を引く」という行為は,単なる辞書代わりであって,それはあなたの言葉ではない.こと詩において,重要ではない部分などないのだ.なぜなら,切り詰めているからだ.
詩をなんだと思っているんだろうか.
それに騙される人たちもとても残念である.
思考が止まってしまっている.
自分の言葉で,伝える.
思考停止は一番心地よくて一番恐ろしい.
ただ一部分を抜き取るという行為をもっと考える必要がある.
全体で把握できないから線を引くのだ.
それを詩人がしては行けないだろう.大変業務的に思えてならない.
だから僕は本に線は引かない.
あなたはどうですか.