時計の秒針音

少しずつコツコツ意味を貯めてく

メアリと魔女の花を観て,宮﨑駿が何故すごいかわかった気がする

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メアリと魔女の花を観たので頭の整理も込めて,ここに残しておく.

 

一言で言えば「ジブリで王道魔女映画やってみた」

 

だと思う.(正確には宮﨑駿の作風で)

 

それも当然で米林監督は千と千尋の神隠しハウルの動く城崖の上のポニョで原画を担当していたみたいだ,当然当然.

ボク個人としては,借りぐらしのアリエッティはいまいちだったけど(人間と小人の恋愛はちょっと映画にするにはな...)思い出のマーニーはわりと好きだったので結構期待していました.

 

スタジオジブリ,は賛否両論あると思うけれど,圧倒的に宮﨑駿を筆頭に動いていたように思う.というか,「宮崎駿スタジオジブリ」って思ってる人がほとんどなんじゃないかな.

サマーウォーズバケモノの子細田守とかも,やっぱり最初はジブリを目指していたし,エヴァ庵野ジブリだし.

マーニーまでは米林監督はジブリにいたので少なからず宮崎駿の息がかかっていた(もしくは意識しないのは無理)からジブリ感もある映画だったように感じる.

 

さて本題だけれど,メアリと魔女の花は米林監督が自分の自由に映画を構築できる状態で初めて作った映画である.赤毛の女の子が黒猫の相棒と一緒にほうきに乗って魔法の国に行って色々あって無事帰ってきたよって映画だ.

この色々あっての部分に米林監督が宮崎駿を超えられない理由があるように思った.

 

まず,魔法の国では生物を新たな生命にする研究が盛んに行われていた.それの最終段階が人間を新たな生物にするというものだ.そこで,メアリが若干好意を寄せていた男の子のピーターが魔法の力によってキメラのような新しい生物に作り変えられるシーンがある.そこにファンシーさを入れすぎた(つまり小さい子でも怖がらずに見ることが出来るデフォルメ感)ところが非常に残念だった.子供受けを狙ったのか米林監督が優しいのか.

 

ここは思い切りバケモノのようなキャラに描く必要があったとボクは思う.映画では一瞬だけピーターが魔法の力で進化するが,それが失敗しどろどろした水色のものに包まれてしまう.

たとえば,ここで「人の命を自分の好奇心のために利用するのは愚かだ」というテーマがあったとすれば,どれだけ残酷なことをしているんだというメッセージを込めたキャラに描く必要があったはずだ.

 

もののけ姫では,かなり主要キャラだった白狼の親が首を取られたり,乙事主が闇落ちしたり,トラウマになりそうなところがずいぶんある.ただ,色々考えられるようになって,あの映画の真の意味を深いところで理解することが出来る.

それは子供ながらに,自然というものは偉大であるということを感じ取ったのではないだろうか.

それがメアリには無かったように思う.

もっとその点について深く考えられれば,ボクはもっと楽しめたなー,と思ったりします.

 

(あと,黒猫けっこうブサイクでざんねんだったけど,宮崎駿がジジっていう超キュートな猫描いちゃうので仕方ないかなとも思ったり)

 

結論を述べれば,宮崎駿の凄さっていうのはその物語の深さにあるんじゃないかなってことです.

同じ絵柄でこう感じ方が変わってくるのは,それが理由な気がします.

多分見たらボクの言いたいことがよくわかると思うので,興味をもった方は観てみて感想ください.