時計の秒針音

少しずつコツコツ意味を貯めてく

誰もが正義マンになりたかった

じょぶずです.

 

みんな,正義マンになりたかった.

でもずっと正しいことをすることは辛いし,理不尽なことで傷つけられてばかりだ.正しくないことがまかり通る日本である.

 

njobs.hatenablog.jp

 

 

njobs.hatenablog.jp

 

※なぜか,同じ題名で2記事書いていた.

 

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最近とても気になって,違和感を感じているのが,「自分のイライラを他人の間違い・過ちを指摘することで発散する」人々である.

 

自分のイライラをなにかに発散したくて,でも無意味に発散することはできないから,間違ってしまった人,過ってしまった人を必要以上にボロクソに言う人がいる.

間違ってしまった人に対して,正そうとすることは悪いことではない(できるかどうかは別として).注意された側は,自分が間違っていたことはわかっているから,何も言い返すことができない.

それを良いことに,必要以上にまくしたて注意する人に違和感(というか嫌悪)を感じるのだ.

 

言う側は「相手は間違っている.自分は正しいことを言っている.だから相手はなんと言われようと仕方ない」といったようなことを思っているのではないだろうか.怒鳴り散らすことを,「相手を正す」という名目でしているのだからタチが悪い.

怒鳴られることは,誰であっても気分が落ち込むし,嫌な気持ちになる.

 

イライラに正義の理論武装をすると,間違った人を殴ることができるし,パッと見は間違ってないように見える.それこそが問題で,間違いを指摘するようにみせかけて,その人が行っているのはイライラをぶつけるということだ,そしてそれに気づける人が少ない.

 

正しいことをしている錯覚に陥って,泥沼にハマってしまうなんて情けないなと思う.

 

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正義を執行することは心地の良いことが多い.誰もが悪者をやっつける正義マンになりたかった.だが,正義の殻を被った私怨を悪者にぶつけて良い気持ちになるのは間違っている.それは正義ではない.

「あなたがしていることは,正義ではないよ.」と伝えてあげたい.

それはただの暴力だよ.

暴力を正当化するな.

それは卑怯者がすることだ.

 

 

正義の武装をした全く関係のないイライラのはけ口として人を傷つける人を,僕は心底嫌う.

だから,僕の好きな人達は,僕に嫌いにさせないで,と常日頃思っている.

25歳になった

じょぶずです.

 

25歳になりました.

ねねちゃんがツイッターで公式も動かしてくれて,いろんな人からコメントいただけて,なんかすごい嬉しいです.

ありがとうございます.

 

ブログというツールがあるので,ことばをきちんと様々な人に伝えることができるので,とても良い時代になったと思います.

 

僕はずっと邦楽というものに触れていなく,ずっとピアノを弾いていました.そもそも音楽自体にそんなに興味はなかったように今は思います.ただ,小学1年生の時の「今月の歌」でポルノグラフティのアゲハ蝶が選ばれて,初めてそういう音楽あるんだなって知ったような気がします.それからはずっとその歌を歌っていた.

 

njobs.hatenablog.jp

 

 

それ以来また,ちゃんと理解せずに中学生にあがり(この頃は外部チームでサッカーをしていたりしていた.が,そんなにうまくなく,上手い人たちの合間でフラフラと生きていたように思う.小学生の頃はループとシュートの違いが理解できず,ただ闇雲に思い切りボールを蹴っていた.中学に上がった段階で慣れていたミッドから何故かセンターバックにされ,さらに意味がわからなくなり,スタメンから外されるなど結構散々だった.引退間近になって,監督が代わり,僕をセンターバックからフォワードに抜擢してくれてスタメン起用してくれたときは,一生この人には頭上がらないと思った.と同時に,やっぱり保守的ではないな,性格的にと実感した)

中学校2年生の時に,BUMP OF CHICKENの曲を教えてもらい,初めてorbital periodを借りて,聞いた.どれもしっくり来なかったけれど,flybyがやけに耳に残ったな,そういえば.

母親とラーメン屋に昼を食べに行った時に,あの短い曲をずっと聞いていた.BUMPを聞いていた僕,ちょっと格好良いんじゃない?とかおもっていたりした.

 

ラフメイカーに出会って,物語のような歌があることをしり,MAD(であっているのかはわからない)でいろんな人がそれぞれに曲に合うイラストや漫画を書いていて,とても良いなと思っていた.

そういう音楽を作りたいと思ったし,BUMP OF CHICKENのメンバーが中学校の同級生でそのまま今も活動しているというのに憧れて,いつかはバンドを組みたいと思っていた.
ギターを買うきっかけになったのは,中学生の時の同級生がギターで洋楽(のブラック・サバス,クイーンを筆頭にMEGADETHやIRON MAIDEN系をめちゃくちゃ聞く人で,そういった方面のコピバンをしていた.そのうち自分で歌詞を書きたくなり,高校の時にノクターンが出来上がる)をコピーしていて,ノリでギターを始めた.

親に誕生日プレゼントでアイバニーズの入門セットを買ってもらった.ちょうど10年前?

 

(10年前!?やばいな!!)

 

高校生になり,高校の同級生に声をかけ,ノクターンを結成したが,色々ありうまく行かず,メンバーは入脱退を繰り返し,結局はネットで募集をかけた人たちのほうがうまくいくという現実が残った.

 

ねねちゃんもメン募サイトで知り合って,すぐできた曲がtwilight


ノクターン『twilight』

 

ここから,ノクターンの進むべき音楽が確立したように思う.

 

24歳,僕は社会人2年目でバンドで音楽をしながら仕事中は社会の歯車になりながら,必死に生きていたな.

最近やっとたくさんの人と知り合って,ノクターンの音楽を好きだと言ってくれる人たちと出会って,尊敬できる先輩たちができて,今とても幸せに感じています.

 

 

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幸せだからと言って辛いことがないわけではない.

幸せと辛さというのは交わることがないので,並行に存在します.

幸せを感じながら,別の面で辛さを感じるタイミングはとても多く,辛さを幸せで上書きすることなんてできない.

それを認識していない人が多すぎる.

余談だけれど.

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24歳,ツアーをして,MVを出して,アルバムを出して,サーキットフェスにも出て,まだまだ.まだまだまだまだ,やりたいことがある.

令和になって,25歳になった.

たくさん音楽を聞くようになった.

 

きっともっとたくさん傷つくだろう.

良いことと悪いことを両方共受け入れて咀嚼し,すべて音楽として出力していきたい.

僕がこれから生きていくことで,誰かの何かが変わってくれればよいな.

それがバタフライ・エフェクトとして,音楽業界が変われば良いな.

それによって日本が変われば良いな.

 

そう思う.

 

僕にはそれをするだけの力があると思うし,ノクターンにはそれを現実にする力がある.

 

大躍進するぞ.

えいえいおー

 

 

p.s.

誕生日プレゼント待ってます.

MVというもの

先日,かねてから本当にお世話になっている方に依頼していたMVを公開した.

曲名は「haise」という.

 

僕は映像に関して,専門的な知識がまったくない.

雰囲気とか,こういう気持ち,とかそういうことでしか伝えることができない.

 

なので詩を読んで,解釈して,映像にする,という仕事はとてもすごいことだと思う.

(仕事と表現したのは,金銭のやり取りが当然あるからだ.)

ありがたいことだ.

 

 

ーーー

 

公開して皆さんの目に触れるのは,3分10秒.

それ以前に,僕が音楽と詩を描いていた時間.

ねねちゃんがドラムフレーズを考えた時間.

 

濃縮還元ジュースのようだ.

露骨だね.

(よく考えたら,今手にしているものすべて,誰かが積み上げてきた時間の上に成り立っている)

 

ノクターンとしても,3分10秒という短い時間の曲は初めてで,

キャッチーでわかりやすく,しかし奥深く,

というものを目標に作った.

 

かなり習作のような立ち位置にあると思う.

 

ーーー

 

そもそも,時間の短い曲を僕が作れるのか,という疑問があった.

 

ーーー

 

下北沢近松,というライブハウスがある.

このライブハウスのイベントで,各日行われるライブでの選出バンドはサンプラーを作成していただけるというものがあり,ノクターンは見事選出された.

 

僕は選ばれたらMVにします,と公言していたんだけれど,精神がバグった時期に,一気にツイートを削除してしまって,みつからなかった.

(有言実行したから褒めてほしい)

 

選べれた段階でhaiseは一音たりとも出来上がっておらず,

その日以降から約2週間(くらいだったと思う,たしか)で作成した.

 

試作の段階でねねちゃんに音源を投げて,レコーディング前々日の段階でかなり変更を加えたものを

送ったから,本当に大変だったと思う.

 

頑張ったからたくさん,見てよ

でもYouTubeでMVを観るって結構コストかかるよね.

 

本当は生活の一部でながら観ることができれば一番なんだけれど.

そうも言えないね.

 

あーあ

 

haise

今日MVを公開した.


ノクターン『haise』

 

2ピースになって,2本目のMVだ.

無機質な感じがよく出ていると思う.

 

『haise』という言葉は造語だ.(造語というものを作ってみたかった)

 

前作は『私の聖域』というMVで,かなり有機的なMVになっている.


ノクターン『私の聖域』

 

haiseに関しては,少なくとも2019年の5月中にMVを公開し大大的に発表する必要がある曲であった.

 

「悲しさ共有しようよ」

「正しいのは君の心,僕の言葉」※歌詞引用

 

ちゃんと正しいと思って生きてる?

自分のことしっかり見つめてる?嘘ついてない?

(嘘ついてるって気づいてる?)

 

ちゃんと見つめようよ,全部

それから次に行こうよ.

 

悲しいことは,みんなで共有していたいね.

 

 

 

ノクターンはミニツアー中で,一週間後の5月18日(土)に下北沢MOSAiCで月花の旋律ツアーファイナル「白色の記憶」を行います.

slololis

kasa.

ノクターン

という3マンでやるのだけれど,チケット代がALL1,500円という値段設定.

(正直アホだった)

 

これで金がないって言われたら,もう僕らはどうしようもない.

(多分僕らのほうが金ない)

 

生の音楽感じて,絶対に損させないから.

最高の気分で土曜日帰って,余韻を日曜日感じながら優雅に過ごして月曜日から生きていこうよ.

そうしよう.

 

チケットは各バンド,公式ツイッター等でDMから受付中.

 

腕時計をしよう

僕は好んで腕時計をしている.しかも,少し重めのものが好きだ.

もうかなり長いあいだ腕時計をしている.

 

僕の体は,もうすでに重心が若干右にずれている.

それは腕時計を普段つけているから,左の重みと釣り合わせるために右に重心がずれているのである.

この偏りこそが僕である.

長い年月をかけて,この偏りが僕となった.

美しい傾斜.

 

もう腕時計は,身体の一部になっている.

 

こうやって,僕は身体以外のものが少しずつ身体になってきてしまっているのだ.

もうギターもそうだ.

 

僕はいつの間にか,多くのものを背負っているようだ.

この重さや痛み,傷が自分を形作っている.

すべて記憶らしい.

 

傷口を見て,記憶が鮮明によみがえる.

 

人は記憶の塊なのかもしれないね.

 

あの日の僕の影を,いつまでも追いかけてしまっているのかもしれない.

人は想い出に生きている

どこもかしこも,誰かと歩いたり遊んだりした想い出であふれている.

僕はまだ実家に住んでいるから,家の周りにはいろんな記憶が溢れている.

 

中学受験期に,数少ない友達とくだらない話をした交差点の白いガードレール.

そろばんの塾の帰りによって,泥団子を投げあった公園.不審者が出た公園.

焚き火をして怒られた.

 

好きな人たちも嫌いな人たちも,記憶に残っている.

記憶によって自分が形成されて今の自分の存在がある.

未来に生きることは,本当はできないのかもしれない.

すべて過去に経験したことの焼き直しでしかないのではないだろうか.

 

なんの話だ.

 

GWはいわゆる旅行とかは全く行ってなくて,バンド練とか数少ない友人とお酒を飲んだりした.

寒かったり暑かったり,体調を殺そうとしているな,地球め.

 

何かを得るためには何かを失わないといけないという,等価交換の原則は,結構本当なのかもしれないな.

 

僕ら記憶によって形つくられている.赤ちゃんが一番創造的なんだね.どの瞬間から,記憶によって未来を予想するようになるんだろう.

 

少なくとも,経験がないものに関して否定するような嫌な人間にはなりたくないな.

 

空虚な

生きている意味はなんだろう,という根本的な疑問に,

何かしらの周期でぶち当たる.

 

自分に価値がある,とか,無いとかそういう話ではなくて,

人類を動物として捉えたとき,種の存続というのが生物の基本的な意味ではあるわけだけれど,

最終的に地球にも宇宙にも寿命が合って,地球が破滅したとき,今まで紡いできた人類の歴史って全く何にも引き継がれないという絶望感がある.

 

必ず地球は破滅する,ということが確定している.僕がここでなにかを作り出して,誰かに評価されたとする.そして時間がたち僕が死ぬ.その後長い年月がたち地球が破滅したら,僕がいたという証拠がどこにもなくなってしまう.

古代のホモ・サピエンスたちが,洞窟に当時の絵を描いた.それは今現代の僕らが確認することができ,歴史が繋がったと実感できる.

同じようなことが繰り返されると信じていた.僕が生きることが,バタフライエフェクトとして,遠い未来になにか作用するのではないか,もしそうであるならば僕の生きていく意味はあるな,と感じる.

 

どこにも僕がいた形跡が存在しないとわかっているなら,死ぬタイミングがいつであれ変わらないのではないだろうか,とかね.

 

今僕はたくさんのことに興味があって,それを探求することがとても楽しい.なので死にたくないので生きるけれど.

こうやって誰にも理解されないような言葉の数々を垂れ流したりすることも大好き.思考の垂れ流しは,誰にも干渉されないからね.好き放題.

 

 

 

 

誰も僕のことなんて理解できない,同じ様に君のことを理解できる人もいない.

空虚だよん.全部ね.

 

 

 

 

生命,存続することが美しいのかどうか.野生的な行動から離れる,つまり種の存続という基本原理をしないことが,実は一番理性的で美しかったりして.

 

とても無邪気に笑える人が,一番美しいなって思うよ.綺麗な女優とかよりもね,僕は.