時計の秒針音

少しずつコツコツ意味を貯めてく

腕時計をしよう

僕は好んで腕時計をしている.しかも,少し重めのものが好きだ.

もうかなり長いあいだ腕時計をしている.

 

僕の体は,もうすでに重心が若干右にずれている.

それは腕時計を普段つけているから,左の重みと釣り合わせるために右に重心がずれているのである.

この偏りこそが僕である.

長い年月をかけて,この偏りが僕となった.

美しい傾斜.

 

もう腕時計は,身体の一部になっている.

 

こうやって,僕は身体以外のものが少しずつ身体になってきてしまっているのだ.

もうギターもそうだ.

 

僕はいつの間にか,多くのものを背負っているようだ.

この重さや痛み,傷が自分を形作っている.

すべて記憶らしい.

 

傷口を見て,記憶が鮮明によみがえる.

 

人は記憶の塊なのかもしれないね.

 

あの日の僕の影を,いつまでも追いかけてしまっているのかもしれない.

人は想い出に生きている

どこもかしこも,誰かと歩いたり遊んだりした想い出であふれている.

僕はまだ実家に住んでいるから,家の周りにはいろんな記憶が溢れている.

 

中学受験期に,数少ない友達とくだらない話をした交差点の白いガードレール.

そろばんの塾の帰りによって,泥団子を投げあった公園.不審者が出た公園.

焚き火をして怒られた.

 

好きな人たちも嫌いな人たちも,記憶に残っている.

記憶によって自分が形成されて今の自分の存在がある.

未来に生きることは,本当はできないのかもしれない.

すべて過去に経験したことの焼き直しでしかないのではないだろうか.

 

なんの話だ.

 

GWはいわゆる旅行とかは全く行ってなくて,バンド練とか数少ない友人とお酒を飲んだりした.

寒かったり暑かったり,体調を殺そうとしているな,地球め.

 

何かを得るためには何かを失わないといけないという,等価交換の原則は,結構本当なのかもしれないな.

 

僕ら記憶によって形つくられている.赤ちゃんが一番創造的なんだね.どの瞬間から,記憶によって未来を予想するようになるんだろう.

 

少なくとも,経験がないものに関して否定するような嫌な人間にはなりたくないな.

 

空虚な

生きている意味はなんだろう,という根本的な疑問に,

何かしらの周期でぶち当たる.

 

自分に価値がある,とか,無いとかそういう話ではなくて,

人類を動物として捉えたとき,種の存続というのが生物の基本的な意味ではあるわけだけれど,

最終的に地球にも宇宙にも寿命が合って,地球が破滅したとき,今まで紡いできた人類の歴史って全く何にも引き継がれないという絶望感がある.

 

必ず地球は破滅する,ということが確定している.僕がここでなにかを作り出して,誰かに評価されたとする.そして時間がたち僕が死ぬ.その後長い年月がたち地球が破滅したら,僕がいたという証拠がどこにもなくなってしまう.

古代のホモ・サピエンスたちが,洞窟に当時の絵を描いた.それは今現代の僕らが確認することができ,歴史が繋がったと実感できる.

同じようなことが繰り返されると信じていた.僕が生きることが,バタフライエフェクトとして,遠い未来になにか作用するのではないか,もしそうであるならば僕の生きていく意味はあるな,と感じる.

 

どこにも僕がいた形跡が存在しないとわかっているなら,死ぬタイミングがいつであれ変わらないのではないだろうか,とかね.

 

今僕はたくさんのことに興味があって,それを探求することがとても楽しい.なので死にたくないので生きるけれど.

こうやって誰にも理解されないような言葉の数々を垂れ流したりすることも大好き.思考の垂れ流しは,誰にも干渉されないからね.好き放題.

 

 

 

 

誰も僕のことなんて理解できない,同じ様に君のことを理解できる人もいない.

空虚だよん.全部ね.

 

 

 

 

生命,存続することが美しいのかどうか.野生的な行動から離れる,つまり種の存続という基本原理をしないことが,実は一番理性的で美しかったりして.

 

とても無邪気に笑える人が,一番美しいなって思うよ.綺麗な女優とかよりもね,僕は.

ノクターン月花の旋律ツアー「白色の記憶」について

こんばんは

(本当は,職場のひどい状況についてのブログを書こうと思っていましたが,そんなのどうでもいい)

 

本日解禁になったノクターン月花の旋律ツアー 最終章「白色の記憶」について,色々考えているところがあるので,文章にして残しておこうと思います.

(タイトルですが,盛大に格好つけさせていただきました.意味はあるよ.)

 

今回注目してほしいのは,料金設定です.

3マンの企画で下北沢MOSAiCで箱貸し切ってやるので,普通は2,500円とかになります.

また,当日券と前売り券っていうよくわからないシステムもあって,バンドマンもライブハウスも,よくわからないまま「今までもこうやってきたから」ということで,何も考えず設定しているのが現状だと思います.

 

まず,僕はインディーズバンドは曲を聞いて知ってもらい,好きになってもらうことが第一ステップだと思っています.どのバンドも個性豊かで話してみるとすごい楽しかったりするんです.嫌いになる人なんてほとんどいないと思います.

ただ,その演者との接点がものすごく少ない.そして,実態がよくわからないバンドのライブにチケット代2,500円+ドリンク代500円かけるのって,結構勇気いりませんか?

真の音楽好きであれば,「音楽にはそれくらいの価値がある」とご存知だと思うので,特に疑問を持たれないと思います.ただ,それが日常のBGM代わりだとか,CMで聞いたことあるとか,TikTokが全てだと考える人たちには,「その3,000円で服買えるじゃん」ってなってしまうと思うのです.

なので,今回は3マンですがチケット代金を1,500円という破格の値段にしました.正直赤字になると思います.

なので,ちょっとでも興味ある方は,好きなバンドに「チケット予約しても良いですか」と声をかけて下さい,もちろん僕らノクターンの企画なので,僕らに声をかけてくれると一番うれしいのですが,対バンのスロロリスやkasa.も最高なので,彼らに声をかけるのでも全然良いです.

とにかく,最初のハードルを低くしたかった.最高の音楽って,実はテレビとかそういう場所じゃないところにこそあるんだよって知ってほしい.

 

そして,前売りと当日券制度を廃止しました.

 

当日に時間ができて駆け込みで来てくれる人から,高いお金を取る意味がわからない.

なのでどの日程でもたとえ当日であっても,1,500円にしました.

「え,じゃあ予約とかいらなくない?」と思うかもしれません.

 

ぶっちゃけいらないです.

ただ,予約をしてくれると,バンドのモチベーションが圧倒的にあがります.

「あ,この人僕・私達に興味があって,お金払って来てくれる人なんだ.うれしいな」って思います.

なので,バンバン声をかけてほしい.声をかけて予約してほしい.

善意の元にある考え方なので,ビジネス的には最悪の考え方ですが,それで良いんです.

僕らはビジネスで動いていないから.

 

好きな音楽をみんなで楽しんで,最高の想い出,最高の夜にしたくないですか.

 

そのために,みんなで一緒に良い日を作りたい.

 

「やった!今日仕事早く終わったわ!!ライブ間に合う!!急げ!!」ってすごいドラマチックじゃないですか?

走ってチケット代払って,最高の音楽をライブハウスで聞いて,帰れるって幸せだと僕は思うのです.どうですか.

 

僕らも最初のハードルを下げるため,また最高の1日にするため全力で頑張っています.

なので,興味が少しでもあれば,時間を作って,ライブに来てほしいな.

土曜日だしさ.笑

 

(本当は1ドリンク制に関してもどうにかしたかった...)

 

できれば,拡散してこういうことを考えている人達にも届けてほしかったりする.または意見募集

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

 

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ツアーフライヤー

 

5/18()下北沢MOSAiC

ノクターン月花の旋律ツアー 最終章

白色の記憶

 

ノクターン

kasa.(三重)

スロロリス

 

ALL¥1,500(D)

OPEN17:30/START18:00

 

予約は下記TwitterアカウントへのDMやリプライ,またはHPから受付中.

twitter.com

nocturne44words.jimdo.com

ノクターン月花の旋律ツアー「白色の記憶」について

こんばんは

(本当は,職場のひどい状況についてのブログを書こうと思っていましたが,そんなのどうでもいい)

 

本日解禁になったノクターン月花の旋律ツアー 最終章「白色の記憶」について,色々考えているところがあるので,文章にして残しておこうと思います.

(タイトルですが,盛大に格好つけさせていただきました.意味はあるよ.)

 

今回注目してほしいのは,料金設定です.

3マンの企画で下北沢MOSAiCで箱貸し切ってやるので,普通は2,500円とかになります.

また,当日券と前売り券っていうよくわからないシステムもあって,バンドマンもライブハウスも,よくわからないまま「今までもこうやってきたから」ということで,何も考えず設定しているのが現状だと思います.

 

まず,僕はインディーズバンドは曲を聞いて知ってもらい,好きになってもらうことが第一ステップだと思っています.どのバンドも個性豊かで話してみるとすごい楽しかったりするんです.嫌いになる人なんてほとんどいないと思います.

ただ,その演者との接点がものすごく少ない.そして,実態がよくわからないバンドのライブにチケット代2,500円+ドリンク代500円かけるのって,結構勇気いりませんか?

真の音楽好きであれば,「音楽にはそれくらいの価値がある」とご存知だと思うので,特に疑問を持たれないと思います.ただ,それが日常のBGM代わりだとか,CMで聞いたことあるとか,TikTokが全てだと考える人たちには,「その3,000円で服買えるじゃん」ってなってしまうと思うのです.

なので,今回は3マンですがチケット代金を1,500円という破格の値段にしました.正直赤字になると思います.

なので,ちょっとでも興味ある方は,好きなバンドに「チケット予約しても良いですか」と声をかけて下さい,もちろん僕らノクターンの企画なので,僕らに声をかけてくれると一番うれしいのですが,対バンのスロロリスやkasa.も最高なので,彼らに声をかけるのでも全然良いです.

とにかく,最初のハードルを低くしたかった.最高の音楽って,実はテレビとかそういう場所じゃないところにこそあるんだよって知ってほしい.

 

そして,前売りと当日券制度を廃止しました.

 

当日に時間ができて駆け込みで来てくれる人から,高いお金を取る意味がわからない.

なのでどの日程でもたとえ当日であっても,1,500円にしました.

「え,じゃあ予約とかいらなくない?」と思うかもしれません.

 

ぶっちゃけいらないです.

ただ,予約をしてくれると,バンドのモチベーションが圧倒的にあがります.

「あ,この人僕・私達に興味があって,お金払って来てくれる人なんだ.うれしいな」って思います.

なので,バンバン声をかけてほしい.声をかけて予約してほしい.

善意の元にある考え方なので,ビジネス的には最悪の考え方ですが,それで良いんです.

僕らはビジネスで動いていないから.

 

好きな音楽をみんなで楽しんで,最高の想い出,最高の夜にしたくないですか.

 

そのために,みんなで一緒に良い日を作りたい.

 

「やった!今日仕事早く終わったわ!!ライブ間に合う!!急げ!!」ってすごいドラマチックじゃないですか?

走ってチケット代払って,最高の音楽をライブハウスで聞いて,帰れるって幸せだと僕は思うのです.どうですか.

 

僕らも最初のハードルを下げるため,また最高の1日にするため全力で頑張っています.

なので,興味が少しでもあれば,時間を作って,ライブに来てほしいな.

土曜日だしさ.笑

 

(本当は1ドリンク制に関してもどうにかしたかった...)

 

できれば,拡散してこういうことを考えている人達にも届けてほしかったりする.または意見募集

 

 

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ツアーフライヤー

 

5/18()下北沢MOSAiC

ノクターン月花の旋律ツアー 最終章

白色の記憶

 

ノクターン

kasa.(三重)

スロロリス

 

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OPEN17:30/START18:00

 

予約は下記TwitterアカウントへのDMやリプライ,またはHPから受付中.

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泥のような

題名を決めずに書き始めている.

というのも,題名を決めてしまうと,書かなければいけないことが,その題名に引っ張られてしまい,本当に書きたいことが書けなくなってしまうからだ.

 

人の,悪意を持った/持たない言葉を,僕には跳ね返す力がほとんどなく,大体は「あはは」と笑ってすます.それが一番ラクだし,人に嫌われないからだ.

 

そうやって,僕は知らないうちに心のドロドロをために溜め込んでいたみたいで,ふと何がきっかけでもなく,袋に穴が空いて一気に噴出した.

 

僕は孤独である.と思っていた.

 

(たくさんの人に(思いもよらない人たちに),たくさんの優しい言葉をいただいて,僕はなんて愚かなことを考えていたんだと思いました.今も思っています.本当にありがとうございます.)

 

ーーーーーーー

 

とあるすごく小さな出来事がきっかけで突然,ほんとうに突然自分の需要が無いように感じた.そこから一気に今まで溜めていた黒いものが脳を覆い尽くし,だめになってしまった.

 

 

始まりは,ねねちゃんにサポートの話が出始めてからだと,今は思う.確かにねねちゃんはとても魅力的で,愛嬌があってとっつきやすくて楽しくて,表情豊かなドラムを叩く.僕が一番彼女の良さを知ってる.本当に自慢のドラマーだ.

サポートの話が来るのは当たり前のことだと思うし,いいことだと思う.喜ばしい.ただ,その話を僕を全く含めずに進められていたことがあった.それは以前にもあったし,ついこの間にもあった(以前に関しては解決した).ただ,僕は今まで本当にたくさんの人にノクターンをやめられて,そのたびに笑い話のように話していたが死ぬほど傷ついていたし,もうメンバーを失うのは懲り懲りだし死にそうである.ねねちゃんには絶対やめてほしくない.フィーリングが合い,とても生きやすいんだ.二人でノクターンだと思っているからだ.

今僕たちはノクターンという形を形成するのに精一杯で,他に手をのばすことができないと思っている(僕だけかもしれない).だからサポートは両立は難しいんじゃないだろうか,と思う(僕だけかもしれない).だから,とてもわがままだけれど,その場で断ってほしかったんだ 笑

 

また「笑」とかつけるし救えないな.

 

今まで本当にたくさんのメンバーを失ってきた(一部は裏切られてきた)から,続けてもらうことに自信が無いんだと思う.どんなに言葉をかけられても,心のどこかで「でも,もしもっといい話があったら離れていってしまうのが人間だしな」と思ってしまっている.とても悲しいことだ.僕の音楽を好きだと言って,ついてきてくれているのにすごい失礼なことだよな,と思う.自信無いんだなー.どうにか信じたいと思っているんだ,基本信じているんだ.絶対信じたいし,やめることはないよなとわかっているのに...哀しいな.

どうすれば心の底から信じることができるんだ.

僕は人を信じることが極端に苦手らしい.

 

だから,サポートの話を僕抜きでしてくる人は,途端に僕の敵になってしまう.ねねちゃんは優しいから当たり障りなく断っている(と思う).なんで僕が隣にいるのに,僕に話を振らないの?この人は.

どうして僕の目の前でサポートドラムの話を僕抜きでできるの?

ノクターンは二人でノクターンなんだよ?なんでそれを自分の利益のために壊そうとするの?

僕が見えていないの?

 

僕は辛かった.ただ,サポートドラムの話が出ること自体はいい事だから,「良かったね」と笑っていた.

結局この男は最後まで僕に話しを降ることはなかった.

「サポートドラムやりたくないんだったら,「サポートは受けてないんです」って断って良いんじゃない?」
「あの人のサポートは嫌だ 笑」

あの人じゃなかったら良かったのかな,とか思ってしまうくらいに疑心暗鬼なんだ.心が弱すぎる.僕よりいい音楽を作る人がいたらさらっと去ってしまうんじゃないかな,他の人達みたいにさ.

そうやって考え込んで,「いやいやそんなことないし,馬鹿だな僕は」と黒い泥みたいなものを飲み込んだ.

 

ーーーーーーー

 

ライブが終わると,話しかけてくれる人たちがいる.本当にありがたいことだ.「ほんとに良かったです.」とか自分の中に巻き起こった言葉にならないものを必死で言葉にしてくれようとする人たち.僕はそういう言葉に救われている.

「ドラム良いね〜〜」と声をかけてくれる人が多い.そして,その後に「ギター君もなんかすごかったね」って伝える.僕にはその一瞬の隙間をとても感じとってしまう.無理やりに褒めなくて良いんだよ.僕のこと,何もわからないでしょ.あなたが聞いていたのは,ノクターンの音楽では無いんだな,言葉でもないんだな,といつも思う.

二人で一つであるから,同等に見てほしい,というのが正直なところである.なぜ,後ろと前じゃないか.横並びで音楽をしているのか.ライブ中に,いくら目を強く見開き「俺も見てくれ!命を削って歌っているんだ!二人を一つとして見てくれ!!頼む!!!」と訴えたところで見られることはなく,ステージ上の自分がとても滑稽に感じてしまった.ああそうか,僕は結局影なんだな.

個人じゃなく,ノクターンという一つの音楽をしっかり見てほしい.でも最近そういう事が多くて,僕じゃなくてもいいじゃないか,と思うようになってしまった.ノクターンのフレーズを弾く誰かがいて,ねねちゃんがいればノクターンは完成してしまうと.

僕はただ楽曲提供するだけの人で事足りるのではないだろうかと,とてもとても哀しくなってしまった.ぼくがいる意味は?

ーーーーーーー

 

曲を作る,詩を書く以上,ある一定の自己承認欲求がある.誰かに認められたいという気持ち.それは間違いない.ただ,その気持ちと同等な立ち位置に自己否定感がある.「自分はこんな曲がかけるんだ!こんな歌が歌えるんだ!こんな面白いことができるんだ!見て聞いて!感想を教えて!!」という気持ちと,「僕がいなくても良いんじゃないか.僕個人には価値がないんじゃないか.」という気持ちである.

ねねちゃんがサポートに引っこ抜かれるのであれば(他人に求められる需要があるのであれば),自分もそれくらい他人に必要とされる必要がある,二人で一つだから.

そうして,知らない間に自分の存在価値が曖昧になってしまった.誰か僕に必要だよと言って.僕はあなたが必要だけれど.

僕がいて,ねねちゃんがいて,はじめてノクターンなんだよ.苦しいな.

 

 

ーーーーーーー

 

 

 

ーーーーーーー

 

ツイッターで溢れ出てしまった言葉を書き連ねた時,反応なんてないと思っていた(せいぜいあってもいいねくらいだと思っていた)のに,温かい人達から温かい言葉をたくさん頂いた.自分はこんなにも視野が狭かったんだなと感じた.自分のことを信じて,自分たちのことを愛してくれる人たちの言葉を信じて,と伝えてくれた.僕の音楽を信じてドラムを叩いてくれるねねちゃん,ノクターンの音楽を愛してくれる人,この人たちだけは絶対に信用しないとだめだ.信用し,信頼しないといけない.そして,僕はもっと自分に対して自信をつけないとだめだな.

自分にとって嫌なことを言ってくる人がいて,その人の言葉を鵜呑みにしてしまうことは,僕たちのことを,僕のことを愛してくれている人たちのことを裏切っていることと同義だと,教えてもらった.

大切な人たちだ,一生かけて恩返ししたいと思っている.

 

 

少し疲れてしまった.嫌いなものにまで笑う気力もないから,これからは嫌いなものには嫌いだとはっきり言うことにする.

まだ,僕には人を信じるための力が少ない.でも多分この時くれた言葉は真実であるということはわかった.

心は弱っているけれど,少し笑えるようになりました.みんなのおかげです.ありがとう.

 

こんな僕でよければ,またライブハウスで僕と会って,一緒に笑い合いたいです.

心配をかけて,不安にさせて,嫌な気持ちにさせてごめんね.

自分の立ち位置

僕は最近,何か得体の知れないものに対して怒りを感じている.

理由は不明で,なんだかよくわからない不快感に襲われていて,人に当たるわけにも行かず,行き場のない不快感がずっと脳内を駆け巡っている.美味しいものを食べているときは忘れられる.

 

ノクターンの音楽の立ち位置をふと考えていた.

僕は高校生の時から,自分が作り出す音楽は間違いなく必要なものだと,なぜか思っていた(今も思っている)

「音楽をするのが楽しいから」「大きな音を出すのが楽しいから」「ギターが好きだから」「モテたいから」

ぱっと思いつくバンドをする理由.続けていった結果,人に求められるようになって,「誰かのため」とかって変わっていくのだろうけど,出発点はこのへんなんじゃないかな,大体の人は.

 

僕は,人の感情はとても美しいと思っている.泣くことも笑うことも怒ることも悲しむことも,全て美しい.

それを押し殺さないと行けない場所が,今の世界である.

僕もたくさんの感情を押し殺して,仮面を被って生きている.きっと,この文章を読んでいるあなたも仮面を被って生きていると思う.

 

ノクターンの音楽は鋭利な音楽だと思う.鋭利に鋭く尖ったような,そんな音楽.ただ,それは感情の純度をこれでもかというくらい高くし,硬めてできたものだ.僕が考えるメロディ,詩,ねねちゃんの歌うようなドラムフレーズ,これらは全部感情である.感情を固めたものだ.それを僕はライブ中に声というツールを使ってぶん投げている.

 

年齢を重ねるうちに,感情は袋のようなものに封じ込めてしまうようになった.それは,入れることはできるけれど出すことはとても難しい.

そこを純度の高い感情のような音楽で,すっと切り込みを入れる.そうすることで,溢れ出そうだった感情の袋はその切れ込みから湯水のように溢れ出てくる.

 

僕らの音楽は,そういう封じ込められた感情を吐き出させる力があるらしい.

 

だから,僕はこれから,ずっと,感情の純度を高めて,あなたの感情の袋に投げつけていく

思うように感じて,思うように笑って,泣いてしまえば良い,答えはない.

ノクターンのライブをみて,みんなが好き勝手,泣いて,笑っているなら,とても美しいんじゃないだろうか.そういう場所に,僕はなりたい.

 

あなたの感情の袋に切れ込みを.


ノクターン『私の聖域』