時計の秒針音

少しずつコツコツ意味を貯めてく

ペンギン・ハイウェイに関して

僕は森見登美彦の熱狂的なファンではない.

だから,深い考察とか知らないし,「こういったバックボーンがあって」とかも知らない.

 

ペンギン・ハイウェイの映画を早く観る機会を得たから,小説を読んでから観ようと思った.

なにかを批評するには,まず勉強が必要であるし,何も知らないのに批評することは大変愚かなことであると僕は考える.

penguin-highway.com

 

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)

 

 

 

 

 

 この小説は,感覚的で抽象的な物語ではなくて,かなり練られた物語だ.というのも,最後のお姉さんが消えてしまうところから,その後のアオヤマ君のお姉さんへの考え方の変化は,以下の3つの点が伏線になっている.

 

・お父さんが言っていた,世界の果ての話=<海>

・ウチダ君が研究していた死ぬということ=『消えたお姉さんの話』

・お父さんがお姉さんに話した解決しないほうがいい問題=夢の話

 

そして,映画ではこの3点が全てカット(というより取り扱われていなかった).

一番重要な物語の世界観や考え方の部分がごっそり抜けているのである.

なんてこった,と僕は思っていた.ぶっちゃけ残念な映画だと思った.足りなすぎる.

 

なので,結構な人(例えばプールと銃口のジン君や,おいしくるメロンパンのナカシマさんとか目についた)が高評価していたためちょっと怖いけれど,僕なりになぜあまり良くないのかを述べたいと思う.

 

一点ずつ見ていきたい.

 

●お父さんが言っていた,世界の果ての話

これは,喫茶店でのお父さんとアオヤマ君との会話で,

「世界の果ては遠くない」

「世界の果ては折りたたまれていて,世界の内側にもぐりこんでいる」

 という所.

ここを映画では,がま口の財布で説明していた(たしか).内側が世界で,外側が端だとしたら,ひっくり返すと世界が外になって,果てが中に来る.だから世界の果ては内側に潜り込んでいる,という理論だ.

小説では,端は折りたたまれている,と表現している.ここで思い出されるのは,プロミネンスによって分離した<海>がスズキ君に当たることで時間が巻き戻るという現象だ,

ネタバラシになってしまうけれど,<海>は地球にできてしまった「穴」であり時間である.物語内でブラックホールの話があったのも,この<海>という存在を説明するための引用のはずである.小さな<海>によって,時間が折りたたまれてしまい,スズキ君は前の時間に戻ってしまったのだ.ブラックホールも,重力によって星が潰れ,時間や光が沢山折りたたまれ押しつぶされ耐えきれなくなることで発生するとされている.

映画中にはこの表現が無かった.映画しか見ていない人は,<海>を何だと思ったのか気になる.ただの不思議現象ではないのだ(不思議現象ではあるが,自然災害とかそういった類のものではないという意).

 

●ウチダ君が研究していた死ぬということ

まず映画内ではウチダ君はアオヤマ君の仲良し友達という位置でしか無かったが,小説内ではアオヤマ君がお姉さんが消えてしまった世界で絶望しないで先に進むための重要な視点を得るための大切な役割を担っている(と思った).

第一に,ウチダ君も研究メンバーなのに,彼は映画内では何をしていたのか.何もしていない,ドジっ子キャラでしかなかった.

彼もアオヤマ君とハマモトさんと同じく手帳を持ち,この世界で重要な考え方である「死」について一つの結論を出す.

それがこの部分.

 

【「ほかの人が死ぬということと,ぼくが死ぬということは,ぜんぜんちがう.それはもうぜったいにちがうんだ.ほかの人が死ぬとき,ぼくはまだ生きていて,死ぬということを外から観ている.でもぼくが死ぬときはそうじゃない.ぼくが死んだあとの世界はもう世界じゃない.世界はそこで終わる.」

「でもほかの人にとって世界はまだあるよね?」

「それはほかの人はぼくが死んだことを外から見てるから.ぼくとしては見てないから」

 

「たとえばぼくがここで交通事故にあうとする」

「それは大事故?」

「大事故なんだ.ぼくは死ぬかもしれないし,死なないかもしれない.それで,こっちの線はぼくが死んだ世界,こっちの線はぼくが生きている世界」

「ぼくは生きているうちにいろんな事件に出会って,死ぬかもしれないし,死なないかもしれない.どんなときでも,どちらかだよね?そのたびに世界はこうやって枝分かれする.それで,ぼくは,自分というものは,必ず,こっちのぼくが生きている世界にいると思うんだよ」 

 

「つまり,たとえぼくがウチダ君が死ぬのを見たとしても,それが本当にウチダ君本人にとって死ぬということなのか,ぼくにはわからないということだね?それは証明できない」】(p288~p299より)

 

まず,映画でこの描写がないと,この物語が何が言いたいのか,何が表されているのかさっぱりわからないと思う.「少年が恋したお姉さんは,少年の記憶に深く刻まれながら消えていった...少年は可哀想だけど健気で感動した」くらいしか無いと思う.

 

この物語の死生観は上記のとおりであり,お姉さんはアオヤマ君の世界から消えた=死んだと解釈すべきである.ただ,消えた瞬間にアオヤマ君の世界では消えてしまったけれどお姉さんは消えていない世界にいるのである.つまりパラレルワールドが生まれる,という考え方である.このパラレルワールドを「世界の果て」と表現している.

つまり,最後お姉さんは<海>=穴を塞ぐと消えてしまう=異なる世界に帰ってしまったのだ.アオヤマ君が<海>の中でお姉さんに「<海>を少しだけ残すことはできますか」と尋ねている.<海>は世界の果ての入り口でもあったのだ.

だから,最後お姉さんが消えてしまったあと,アオヤマ君は絶望しなかった.

自分はお姉さんが消えてしまった世界にいるけれど,お姉さんはお姉さんがいる世界にいる.だから「世界の果てに通じている道はペンギン・ハイウェイである.その道をたどっていけば,もう一度お姉さんに会うことができると信じるものだ.これは仮設ではない.個人的な信念である.」と述べた.

映画の最後にアオヤマ君が述べたこの文章,すっと腑に落ちなかっと思うけれど,それはこういう意味だ(と僕は思う).背景がわかればすっと入ってくるのではないだろうか.

 

●お父さんがお姉さんに話した解決しないほうがいい問題

このシーンも映画ではカットされていた.お父さんがフランスに行く際のバス停で,アオヤマ君とお姉さんが見送りするシーン(お姉さんはいないことになっていた).お姉さんに「世の中には解決しないほうがいい問題がある」と話している.それをアオヤマ君も聞いており,その後に夢の描写に入っていく.

映画では妹がお母さんが死ぬということを考え泣いてしまったあとになぜか熱を出して夢の話に入っていく.ただ,ここはお姉さんのことをずっと考えていたアオヤマ君はすでに答えがわかっている.だから夢の世界でお姉さんはアオヤマ君に「ごめんね」と謝るし,アオヤマ君は泣いてしまうのだ.

そのつながりが映画には無かった.

 

以上3点を大雑把にまとめてみたけれど,やっぱり無かったと思うし重要な部分だと改めて思う.

じゃあなんで映画見た人が良い,美しいって言うのかなと考えてみる.

それは人は,「生命の消失」という点に置いて美しさを感じやすい生き物であるところにあると思う.最後にお姉さんが消えてしまいアオヤマ君が寂しさから立ち直り「いつかお姉さんに会いに行こう」という話にすることで,クライマックスをさも美しかったかのように作り上げ,小説の大事な部分がおろそかになっていることが気づけずにいるのだ.

 

原作ありの映画は,監督の解釈(や好み)がそのまま出てくる,と改めて思った.今回のペンギン・ハイウェイに関しては,監督の趣味と合う人は「良い映画」と思うのではないだろうか.

少なくとも僕は,あの一見抽象的な物語をそのまま抽象的に終わらせてしまったことをとても残念に思っている.

なぜ変拍子の音楽をするのかについて

最近,やっと音楽をやっているんです,と他の人に堂々と言えるようになった.

 

「なにか趣味やられてるんですか」って言われるけれど,これ大抵の人にバンドやっていますって話すと,

「どんなジャンル?」と聞き返される.

僕はポストロックだと言ってしまおうとするのだけれども,言ってしまったが最後,「それって何?」と聞き返され,詳しく説明しようにも「へーそうなんだね」と特に興味を持たれることもなく終わるので,僕は「最近流行りのやつみたいなやつです 笑」と少し笑いながら言ってしまう.

変拍子を多く使った音楽です,とでも言えばよいのかな.そもそも変拍子も理解してない人が多いし説明する労力がとても多く,その割に返ってくるものが少なくハイコストローリターンなので嫌いである.

 

とある先輩に,「完全に趣味だね.お金発生してないんでしょ?」と言われたが,お金が発生して生きていなきゃ趣味なのかなと思う.正社員でお金が発生しているなら趣味を超えている?世の中の仕事をしている人は,趣味が仕事でないといけないのかな.僕は仕事が趣味なんて絶対無理で死んでしまうよ.

MVを自費で制作することに疑問を持っている人が世間には多いみたいで,だってさ,企業からお金を援助してもらったMV制作できる人ってどのくらいいると思っているのだろう.

終いにはアイドルの音楽を同列に並べて話し出すのだから厄介である.「かわいい,かわいくない」の次元では無いのだ,音楽は.でも「そうですねぇ」と僕は笑っているのだ.僕も嘘つきだ.

 

 

 

なぜポストロックをやっているのか,について書こうと思うけど,そもそもポストロックがやりたいわけではなく,結果変拍子になってしまい,ジャンルを分けるのであればポストロックになるのかな,といった後付けなのだ.

 

例えば感情であったり想いを込めて曲を作っている人はとても多いと思うし,「感動した」とその曲で泣いてしまう女の子がいたりするけれど,感情ほど複雑で訳がわからないものは無いし,言葉ほど伝わらないものはない.それを4拍子に固めてしまうのって本当にすごいなと思う.どうやっているんだろう.僕にはできない.

どうして,人の感情や想いを4拍子にねじ込むことができるの?絶対溢れてしまう.

だから,結果として複雑な拍子になりがちで,結果ポストロックって言っている.

自由である,音楽は.決められたことなど何もなく,だからこそ自由に構成して,それを出力するのだ.

ポストロックにしようとして作っているわけではなく,作っていくとどうしてもなってしまうのだ.

だから,「結果論的ポストロック」なのだ.

(でも,たしかに 4つ打ちミュージックの方がわかりやすいしノリやすいの知っているんだ,僕は)

未来のミライ観てきた

未来のミライの試写会が当たったので観てきた.

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細田守監督最新作で.時をかける少女から毎年3年周期で新作を出している(前回はバケモノの子)

4歳児の主人公「くんちゃん」と,未来のミライちゃん(女子高生)がCMに出てきていたので,時をかける少女的なモチーフなのかなぁと漠然と思っていたが,全然そんなことはなかった.

こういう映画できるんだなって思った.すごいよ,細田守

 

今までがSF色が強く,規模も大きい映画だった.特に前作(バケモノの子),前前作(おおかみこどもの雨と雪)ともに非現実の世界だったので,今作もそうなのかなと思っていたが違った.

あらすじをあえて書くとすれば,建築家の建てた,ちょっと不思議な作りのおしゃれな家に生まれた少年,くんちゃんが,新しくできた妹のミライちゃんに対して,嫉妬とかを感じたりしながら成長していくという,ありふれたストーリーである.

ただ,そこに未来のミライちゃんが出てきたり,多少のSF感はあるがそれも全く違和感に感じない説得力のある世界観で,くんちゃんは自分が生まれてくるずっとずっと前の歴史から少しずつ着実に選んできた,その時その時の未来の先端であるってことに気づく.

自分もずっとずっと昔からの一番先頭であり,また今日.今の自分の未来への選択が,これからずっとずっと続く未来の誰かのための選択であるってことにも気付かされた.

 

家族愛とかそういう話ではなく,自分が大きな大木の先端であるんだって漠然と感じた.

 

今はまだ公開していないから,ネタバレになりそうで全然深く突っ込めなかったけれど,とてもおもしろかった.

笑えるシーンもあったり,にやけてしまうシーンもあったり,くんちゃんの描き方(つまり4歳児の描き方)がとてもうまかった.僕も兄弟が下に3人いるので,結構そういう年代の動き方とかを知っている.「あーたしかに,こういう時あったわ,これ理不尽なんだよなーー,我慢したなー」とか思ったりしながら,本当に観ている間ずっと楽しむことができた.

 

おすすめです.

もし観た方いらっしゃったら,お話しましょう.

 

 

8月23日追記ーーー

今思い返せば,くんちゃんの声をあの感じで合わせるのであれば,草原で年上の自転車乗っている子どもたちの声もそれに合わせたほうが良かったと思う.そこだけ違和感がすごかった.

ほんとはさ

好きなように好きな音楽を好きな場所で奏でて

好きなように歌って,空を仰いで

それを音楽が好きな人達が自由に観て,感じて,楽しんで

お酒を飲んだりジュースを飲んだり,踊ったり一緒に歌ったり

手拍子をしたり

警察官も歌ったり

いいなと思ったら投げ銭を投げて

それを使ってその日暮らしをする

そんな生き方がみんないいんだ.

 

今だって,本当はみんなゲストで入れたいし

 

でもね,ライブハウスのノルマはすごく高くて

日々の練習は外ではできないから,スタジオを借りなきゃ行けなくて

生活もしなきゃいけなくて

だから,理想とは離れてしまうけれどチケットを買って見に来てもらうしか方法がない 

 

ごめんね

 

でも新木場コーストとかでライブをやるようになったら,

今取り置きとかで来てくれてくれる人に

絶対恩返しライブをする

 

絶対

 

頑張りたい

万引き家族を観てきた

万引き家族を観てきた.

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gaga.ne.jp

 

他の映画を観に行った際のCMで見かけて,絶対観に行こうと思っていたので間に合って良かった.

 

一つの映画を作る人は,物語を作って,配役を決めて,カットを撮って,音楽を決めて,と一つの新しい世界を作り上げるから,本当にすごいと思う.

そこには確実にもう一つの世界がある.間違いない.

 

僕は普段から割と映画を観に行く.

映画の中で,詰めが甘い部分とか,無理矢理の辻褄合わせとかを見るととても残念な気持ちになってしまうし,なら作品作らなければ良いじゃないかと思ってしまう.(SPECとかひどかった,あれはドラマシーズンで抑えるべきだった).

万引き家族」は,そういう矛盾が一切なく,登場人物一人ひとりの思考とかバックグラウンドがそれぞれ確立していたと思う.観終わったあとに,とてもすっきりとした印象を覚えた.

わずか2時間ちょっとだが,もっと長い時間を観ていた気もする.

一人ひとりの背景がしっかり決まっているからこそ,それぞれの人物がそれぞれの意志を持って動き映画になる.そこには辻褄合わせなんて存在しない.

漫画とかもそうで,キャラクターにもそれぞれ様々な背景があるわけで,それが決まっていないとぼやけてしまう.

久しぶりにしっかりとした映画を観れた.あと,出演している俳優みんな演技上手くて最高だった.

リリー・フランキー,結構な年なのにものすごく格好良いし,安藤サクラめっちゃ下町の女性感があってリアル過ぎた.娘役の佐々木みゆちゃんは,あの年齢なのに本当に切ない感情で演技していて天才かと思った.

 

”家族を超えた絆”って書いてあるけど,僕はそうは思わない.彼らは結局は家族を超えることはできなかった.

それぞれがそれぞれの秘密を抱えて,でもその秘密をお互い知らない.

彼らがやっていたことはおままごとだったのだ.でもそのおままごとの一部を切り取ると,確かにそこには家族が存在していた.

なんて悲しいだろう.

彼らは世界から置き去りにされてしまった,誰のものでもないものを,ひっそりと万引きする.

新しい名前を得ることで,彼らは自分自身から,事実から逃げることができた.新しく生まれ変わった人たちが,集まって家族になることができた.

ただ,存在するのは偽りの名前であり,だからこそ本物の家族にはなれなかった.

家族ってなんだろう.血がつながっていることか,時間を共有していることか.

anoneの世界では,バラバラの人たちが間違いなく家族になっていたなぁ.

あれは現実じゃなくて理想なのかな.

 

万引き家族は,結局家族になる覚悟ができていなかった.

だから逃げてしまった.家族を置いて.

彼らは家族から逃げてしまった.その瞬間おままごとになってしまった.

 

 

知らない間に人は大人になっていて,役割を課される.

そんな準備なんてしてこなかったのに.

悲しいね,僕らはずっと子供だったのに,子供に子供ができてしまって仕方なく大人になるんだね.

逃げて隠して,僕らは愚か者だね.

 

いつかまた会えるなんて嘘だね.

もう二度と会えないよ僕ら.

それでも「またね」って言ってしまうんだね.

少しの希望を残したいから.

ノクターン自主企画「再考」

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6月18日 下北沢251 にて,2ピースとなったノクターンが2ピースで音楽をしていくことを表明するための企画,「再考」が行われる.

いろいろな想いがあるけれど,1番はやっぱり3ピースから2ピースになった時の周りの反応だ.

誘われるライブも,以前とちょっと変わったというか,試しにこのライブ入れてみるかっていうのが見えてくるブッキングだったし,対バンにも「2ピースでも聞けるね」的なニュアンスが見えてしまったり,やはり「3ピースの音楽を2ピースでもできるじゃん」という気持ちが透けて見えてしまっていた.

 

違う.

 

僕らがなぜ2ピースを選んだのか.

それはベースが見つからなかったからではなく,(いや,確かにこの人とならやれるっていうベースは見つからなかったけれど),2人のほうがより面白いことができると考えたからだ.

あれは忘れもしない,東京駅のラーメンストリートあたりで,

 

じょぶず「ベースいなきゃいけない理由ってあるっけ」

ねねちゃん「?」

じょ「いや,なんかわざわざ無理やりベーシスト入れて3人で演る意味ってあるのかな.それよりも2人でもっと深く突き詰めたほうが良いんじゃないかな」

ね「?」

じょ「他のバンドと違って,ノクターンってメンバーのバンドへの理解がかなり重要な気がしていて,ブッカーさんんも「もっと考えてやったほうが良い」って言われるくらいじゃない?なのに,ここで全然知らない人をポッと入れたところで,本当に良い方に転がるのかな」

ね「?」

じょ「それなら,2人でちゃんと細かいところまでしっかり詰めていって,あーでもないこーでもないって言いながら,まだぼやっとしていたバンドの形を固めていったほうが,これからに繋がるのでは無いだろうか」

ね「!」

 

という会話をした.ここでベースレスを敢えて選択することとなる.

 

実際,僕が作る音楽は自分でも作った瞬間はよくわかっていないものが多い.

それを音楽的表現や,会話で少しずつ削っていって,荒削りだったものから,徐々に輪郭を見つけ出していく作業が必要で,それにはものすごい時間がかかるし,僕だけがわかっていてもだめで,メンバーも共通で認識していないとだめである.

 

二人になって,

・フットワークが圧倒的に軽くなった

・練習にかかる費用が減った

・曲への理解が深まった

というメリットができた.

フットワークが軽くなると,自然と共にいる時間が長くなるので,僕のことをねねちゃんも理解するようになるし,僕もねねちゃんを理解できるようになる(真に理解するとかそういう話ではないよ).

そうすると,お互いの音楽のプレイの癖とかがわかってきて,自然と楽曲に溶け込めるようになる.

 

僕らが今やっていることは,3ピースの音楽ではない.2ピースの音楽だ.

それを証明するため,再び考える必要があった.

なぜ,2ピースになるのか.

答えは企画「再考」の中にある.

来れば必ず僕らの考えが伝わると思う.

 

僕らが表現したいもの,現状のその全てを出し尽くすため.

明日は楽しみにしていてほしい.

 

ーーーここから先は企画の出演者を褒めちぎるタイムーーー

・【雨のマンデーズ】

前々から知ってたけど,新宿marbleで初対バン.そのときはドラムも女性に変わっていて,ガールズバンド(というくくりにしたくは無いが,表現としてこの表記を使う)になっていた.

めっっっっっちゃ良い.メロが良い.歌詞も良い.女性にしかあれは歌えないよ...

「それは呪いさ,これは呪いさ,絡みついて離れないんだ.」

「それは魔法さ,まるで魔法さ,キミが最後にかけた魔法.」

あーーこれは思いつかない.僕には無理だ.呪いが実は魔法っていうのがもう,聞いて一発でやられた.

世界の終わりとレインボウという曲なので,明日やってくれるかもしれないから,楽しみにしていると良いと思います.

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・【Chaton on the Note】

下北沢Daisybarで初対バンかな,確か.そのときは,ノクターンの前のドラムの最後のライブの日で,シャトンのベースも最後の日だったという,なんだか不思議な縁のバンド.

その後大塚Deepaでも対バンしていて,回数で言ったら1番対バンしているかもしれない.

ギタボのあき君が作ってきた曲,結構知っているつもりだけど,今やってる時の曲が一番いいなやっぱり.(ただ最初に対バンした,歌いながらめっちゃピロピロ弾く曲も大好き)

今回の企画でドラムの峰くんも脱退らしく,絶対エモくなるねこりゃ.

ちなみに,僕がシャトンで1番好きな曲はSweet magic ink  です.メロ最高だし「隠れてないで出てきてよ.」の「出てきてよ」の言い方がセンス抜群なので,ライブの際には注意して聞いていただきたい.(やるのかな,やってほしいな).ただ,シャトンはメロだけじゃなくて,歌詞も切ない.

というか,最近この雰囲気のバンドいないと思う.ほんとに.すごいバンドになったな.負けられない.(上から目線というわけではなく,以前を知っているから,こっちの方向に進化したんだ,すごい嬉しいし負けられないって意味です.いい音楽を作る人達は皆仲間です.勝手に若干後輩っぽく感じてたりします)

Chaton on the Noteの愛称はシャトンです.

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・【パスワードの人】

まず,出てくれてありがとうございます!!渋谷aubeでの対バン(2年前?)からSNS上で近況は知っていたんだけれど,対バンする機会がなく,大塚HeartsNEXTにてひっさびさの対バンで,あー最高これは絶対誘わないと一生後悔する,と思い,めちゃめちゃ急遽お誘いして快く引き受けてくれて泣きそうでした.

メンバー全員色が濃く(楽器隊のレベルがエグい+ぐみちゃんさんの舞(踊り?演技?正しい表現が見つからない)),ある意味異質のバンド.僕らも世界観を謳っているけど,パスワードの人の世界観も独特で,近いけど平行線にある不思議な親近感を感じております.

というか,バンド名やばいよね,格好良すぎるよ.人って何,ハイセンスすぎる.

僕はやっぱり(月並みかもしれないけど)「拝啓20世紀」だ.

ノストラダムスの予言は 当たらなかった 当たらなかった」

「世紀末が通り過ぎてった それがどうしたんだろう」

このとき,ぐみさんが背中を向けて時計の針のように腕を動かすんだけど,あれ,きっと時間が過ぎていくって意味だよね.そんな中で,私は20世紀が好きなんだよ,通り過ぎていくどんなものよりも.

って意味なのかなって勝手に思ったりしております.f:id:njobs:20180618015243j:plain

・【ano】

ReGでレコ発企画に呼んでいただいたのが最初の出会い(たしかそのときマルメロもいたりして,今思えば半端ない対バンだった,ありがたいことだ).すぐCD買いました,My happy ending.西野カナ系って言っているだけあって,歌詞もまあ重たい,その重たさに超絶テクニカルなギターとかが乗ってきて,ゴリゴリに耳を攻めてくる感じ,めっちゃ良いです.訳あって活動を休止していて,満を持して最近復活し,この企画に出演いただけることになった.しかもキーボードとか入れちゃってさー,絶対最高じゃん.

ぞえさん率いるanoがどのように変わって答えを出したのか,まだ僕らは知らないので,本当に楽しみです.

よろしくおねがいします.

(そういえば,対バンしたときはギターで、一回ベースになったセキネさんがまたベースになったとか,もうこれだけで万能感出ててやばい)

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以上,普段の僕からは考えられないくらいボキャ貧になってしまったけど,多分伝わったと思う最高加減.

ぜひ,下北沢251で皆さん会いましょう!!!

セクシャル・マイノリティ

性別という枠組みがある.

現状,僕らの社会では「男」と「女」という枠組みがあり,その中で各性別がそれぞれいいところを出し合って働くというのが男女共同参画である.

その考え方は見方を変えれば「男」と「女」の生活の向上であり,そこにスポットライトが当たるようになると当然影も濃くなり,いわゆる男でも女でもない性別「セクシャル・マイノリティ」が顕著にあらわれてきた,というのが現在の文脈である.

LGBT」という言葉をよく耳にするようになったのも,最近のような気がする.

僕はこれからもどんどん,新しい性別の枠組みは増えていくと思っていたので,新しい線を引くのではなく,すべてまとめて「人間」という一つの性にまとめてしまった方が良いのではないか,とおもったが,実際はそう簡単な問題ではないらしい.

まず,よくアンケートで見る「男・女・その他」という解答欄だが,性別というのは点で表すものではなく,スペクトラムのように帯の形状をしているらしい

男:1・2・3・4・5・6・7・8・9・10:女

例えばこんな感じ,やや女よりの男とか,やや男よりの女とか,そういったように一概に「女or男」と決めることはできない.君はどのくらいだろうか.

また,性別は流動性があり,年齢に応じて変化があるようだ.

性別というのは固定されたものではないということだ.

はたして,世の中に生きている人間の中で,上の数値でいうと完全に「1」の人と完全に「10」の人はどれだけいるのだろうか.

僕の感覚では一人もいないんじゃないかな,と思う.

なんなら,対面している人によって性別も変わってくるのかなとも思う.

 

性別を「身体」と「心(精神)」で分けたときに,どちらを主で考えるかが重要であると思う.

身体でさえも,女性と男性の中間の身体を持つ人もいる.

性別の枠組みというのは,本当に固定観念であると思い知らされる.

 

誰も誰かをバカにしちゃいけないよね.

「自分は自分である」ということを認めてあげることが,自分を救うことにつながってくる.

どんなあなたもあなたであるし,それを僕は認めてあげたい.

作られた枠組みに縛られる必要はない.

 

 

(というかさ,誰にも誰かを否定する権利なんて無いよね.なんの権限があって否定しているんだろう.「それは違う」って何を基準に決めているんだろう.常識ってなんだろう,法律で決まっているのかな.今誰かを否定してしまっている/思い当たる節がある人は一度立ち返ったほうが良いよ.考えを押し付けて相手を捻じ曲げるほど,最低なことはない!!!!)