「聲の形」から考える2つのこと
聲の形を観てきましたのでレビューする.
聲の形は,漫画が原作の映画だ.
僕は漫画は読んでいなかったんですが,大大大満足だった,
1つの映画としてしっかりとまとまっていて,後腐れもなく,観終わったあと心に何かを残していく,という点で非常に満足感を得られた.
観終わった後,じんわり胸の中で反芻して,「ああ,いい映画だったな」と思う感じ.
僕は松竹の映画が結構好きなので(ソロモンの偽証など),頑張ってほしいなって思う.
聲の形
この映画は,単なる感動映画ではない.
この映画を見始めたとき,僕は主人公たちのそれぞれの感情が痛いほど伝わってきて,本当に苦しかった.
なぜなのかは下に書いていきたいと思う.
この映画を観た人は,かならず考えなければならないことが2つある.
それは
1.耳が聞こえない(聴覚障害)ということ
2.いじめ
だ.
1.耳が聞こえない(聴覚障害)ということ
一つ目は,この映画の根幹である聴覚障害の西宮さんから,障害に対して僕らがどのように向き合うべきかを考えなければならない.
ヒロインの西宮さんは重度の聴覚障害で,自分の声を上手く聞き取る事ができず,発声が上手く出来ないため筆談や手話で会話する.
耳が聞こえないということは,危険を察知することが難しい,ということだ.例えば,後ろからの車に気付くことが難しい.
西宮さんのお母さんは,西宮さんに人並みに生活できるように,あえて聴覚障害者学校に行かせず,一般の学校に行かせた.
「普通の子と一緒にすごすことによって普通を目指すキッカケが増えればいい」
自分が普通では無いことを自覚させ,普通に追いつかせ,人並みに生きるために自立させるためだ.
僕らが生きるこの世界には,僕らが思った以上に障害をもつ人たちがいる.
聴覚障害は,障害と名がついていますが一つの個性だと僕は思っている.
耳が聞こえにくいという個性,これをしっかり受け入れることが普通であるし,その壁をみんな普通に超えていければ,世の中がほんの少し良くなると思う.
いじめ
二つ目は,西宮硝子さんから石田将也くんに移っていくいじめから,僕らは考えなければならない.
まず,みなさんなら,小学生のときに「こんにちは」という言葉を「こーにいわ」と喋る小学6年生がクラスにいたらどうだろう.
しっかり会話して,仲良く出来ただろうか.
聴覚障害をもつ西宮さんは,最初その喋り声や他の人との違いから,徐々にいじめられるようになる.
その主犯が石田くん(主人公)だった.
しかし,その石田くんも学校のいじめ調査の日からいじめの対象になってしまった.
石田くんは,自分がいじめられて初めて西宮さんにしたことの大きさに気付く.
石田くんはその日を境に,自分に鎖を巻きつけ,西宮さんに対しての贖罪として一人で過ごしていくようになっていく.
みなさんも,もしかしたら石田くんの立場になっていたかもしれない.
友達を作ることを自分からやめて,「自分は幸せにはなってはいけない人間だ」と思い込んでしまった.
たしかにいじめはやってはならないことだ.
いじめをされた本人につけた心の傷は,どうしようもなく深いものになってしまう.
だから一概にも「反省した石田くんは,いじめをしたのは小学生のことだし許していいでしょ」なんて言ってはならない.
小学生のときに付けられた心の傷を,一生背負って生きている人もいる.
しかし,石田くんは「いじめ」というものの本質を理解することができ,しっかりと償おうとした.
いじめをした石田くんは,どうやったら救われるのか.
それは,いじめをしてしまった人から,「許される」ことだけだと思う.
自分のしてしまったことに関しては,取り返しはつかない.
だが,長い時間をかけて一生懸命償った石田くんを,責めることはできないだろう.
西宮さんが許し,石田くんは自分自身を許し,そうすることで彼は解き放たれるのだ.
僕は,最後に石田くんが自分を許すことができて,本当に良かったと思う.
西宮さんと石田くん
聴覚障害者の西宮さんと,自分を許せなくなり外の声が聞こえなくなった石田くん.
世界を聞けない二人が救われて本当に良かった.
この映画を観ることで,少しでも多くの人が自分の行動を考え,世界が,ちょっと素敵になったらいいなって思う.