時計の秒針音

少しずつコツコツ意味を貯めてく

La La Land 観てきた.(雑感)

こんにちは, じょぶずです.

今回LALA LAND観てきたので,ざっとまとめて感想書いておきます.

つまりレビュー兼記録です.

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ものすごく簡単にまとめると,ポップコーンを食べながら観たい映画だと思います.※これは良い意味です

もしかしたら,色んなシーンに裏の話とか意味とかがあって,深い考察があるのかもしれませんが,僕はそれには気づけませんでした.

ただ,ある一組の男女の運命(ミアとセブ)を描いて,心情の変化を大事にしながらポンポンとテンポよく進んでいく様子は,非常に気持ちのよいもので飽きも来ません.

途中途中に入ってくるダンスは非常にキャッチーで,ダンス未経験者の僕も若干手振りだけ真似したくなるほどでした.

そのくらいどっぷり世界に浸かることが出来ます.

劇中音楽も非常に良くて,THE 映画,といった感じでした.(これは3Dデジタル処理でSF映画を作れるという意味の映画ではなく,観て楽しむ娯楽としての,昔から存在した映画の価値観を行っています.)

だから,冒頭に書いたように,ポップコーンを食べながら見たい,と書いたわけです.

決して集中しないということではないです.そこを誤解しないように.

深い考察を考えようと必死に言葉のつなぎ目とか町並みとかを観るのではなく,ただ単純に映画を観て,一喜一憂して楽しむ,ということが出来る映画だということです.最近の映画にそういうものはあまりないような気がします.

 

最後のシーンで,エマ・ストーン(ミア)の夢を叶えるための最後のオーディションのあとの話があるのですが,ミアが「わたしたちこれからどうするの」に対して,「君はパリに行くんだから役者に没頭して.君をずっと愛してる」と言うシーンがあるのですが,その瞬間のミアの私のことを応援してくれて嬉しい,という感情と,この人と離れたくない,という感情の入り混じった胸が痛くなる表情がものすごい.本当にすごい.

これだけですっとこの世界に入ってしまい,そのまま見入ってしまう.

 

余談ですが,チキンアンドジャズって名前じゃなくて,セブズにしちゃったセブは未練たらたらだったっていうね.それなのに最後にミアに微笑んで頷くシーン泣けます.ほんとに.

 

家でお酒飲みながらもう一回みたいなぁ

デスノート Light up the NEW world を僕は許さない

デスノート Light up the NEW worldを観てきました.

結論を言うと,デスノートの名前を使いたいがための蛇足映画でした.

監督ちゃんと原作読んでるのか??

気になったのは以下の点

  • 夜神月が遺伝子を残して後継者を育てていた
  • アーマが死んだ時にデスノートも灰になった
  • アーマとデポという死神
  • ミサミサだけが知っていた約束の場所
  • 紫苑はどうやってビルから逃げ出したの?
  • 死神たちは死神大王の後継者になれるとという設定
  • ワイミーズハウスにデスノート運搬途中にテロにやられて盗まれた

それぞれ観ていきます.

夜神月が遺伝子を残して後継者を育てていた

アーマが死んだ時にデスノートも灰になった

アーマとデポという死神

ミサミサだけが知っていた約束の場所

紫苑はどうやってビルから逃げ出したの?

死神たちは死神大王の後継者になれるとという設定

ワイミーズハウスにデスノート運搬途中にテロにやられて盗まれた

夜神月が遺伝子を残して後継者を育てていた

第一に,原作で夜神月はなぜ死神の目を持つことを頑なに拒み続けたのか,ということを考えていきます.それは自分が新世界の神に出来る限り長く君臨し続け,世界を統治したかったからです.自分が死ぬことなんて全く考えていない.し,誰も信用していなかったわけです.死ぬことを前提に後継者を育てるなんて思考は無いのでこの時点で監督はちゃんと原作を読んでいない気がしていました.

 アーマが死んだ時にデスノートも灰になった

これどういうことなのか.前作はジェラスが死んだことで世界に2つのデスノートが存在することになった.しかし,今回はアーマが死んだ時にアーマが使用していたデスノートも灰になってしまった.これは設定がダルダルでしょう.

しかも,この映画の最初にありがたいことに,不自然なノートの設定を話してくれてました.「7冊目からはノートの効力が切れる.」つまり,7冊目以降はいくら死神が世界にノートを落としてもそれはただのノートになるから,6冊をまとめて管理すれば,この先デスノートでの殺人は犯すことが出来ない,ということだ.灰になるなら「効力が切れる」という表現はしない.設定ダルダル.悲しい気持ちしか無いです.

アーマとデポという死神

DEATH NOTE13巻を読んだことがある方はご存知だと思いますが,そこに死神界の死神が全て載っています.そこに載っているのは

  • リューク
  • レム
  • シドウ
  • ジェラス
  • アラモニア=ジャスティン=ビヨンドルメーソン
  • ダリル=ギロオーザ
  • デリダブリー
  • ミードラ
  • グック
  • ゼルオギー
  • カリカーチャ
  • キンダラ=ギベロスタイン
  • 神大

の計13体です.アーマもデポも知りません.本当に読んでるの??原作!!!監督さん!!僕が考えた最強の死神じゃダメなんだよ??

気になる方は下のリンクから,13巻買って読んでみてください.

 

DEATH NOTE (13) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (13) (ジャンプ・コミックス)

 

 

ミサミサだけが知っていた約束の場所

これ何の話かさっぱりわかりません.誰か知っていたら教えてください僕には見つけられませんでした.

紫苑はどうやってビルから逃げ出したの?

これは原作どうこうの話ではなく,物語として不自然でした.あの場からどうやって逃げることが出来たのか.ご都合主義過ぎます.理屈で映画を作ってください.

死神たちは死神大王の後継者になれるという設定

死神たちは基本めんどくさくて何もしていません.麻雀などの賭け事をして長い時間を過ごしています(13巻参照).しかも,死神にはランクが付けられており,死神大王に次ぐ力を持っているのはです.そして死神大王はあまりの凄さに絵にすることが 出来ないレベルの存在です.そんな物が後継者なんて作りますか?作りません.作ったとしてもヌになるだけです.次の死神大王になったからものすごい力を得て死神界を自分のものにできるとかありません.

ワイミーズハウスにデスノート運搬途中にテロにやられて盗まれた

これも映画の内容についてです.そこまで危険だとわかっていたデスノートの運搬が,簡単にテロにやられるってどういうこと!!

意味がわからなすぎて笑いました.ワイミーズハウスに保管というのは100歩譲って理解できるとして,運搬が狙われるなんて誰にでもわかることでしょ!!

なんで警備を怠るの!!

次の話につなげるためのご都合主義展開は残念極まりないです.

まとめ

結構多くの記事に載っているけど,頭脳戦は皆無(リュークの言葉を聞いた竜崎が,自分が名前を書かれていることに気づいた点くらい)です.あまりに幼稚過ぎる.竜崎は味方を死ぬほど煽りながらも,どうやって最後6冊確保しようとしたんでしょうか.完全に味方任せだったでしょあれ.

顔出してあの場にいたらそりゃ狙われますよ.

ただサイバーテロっぽいところは今時っぽくて楽しめました.

今っぽいデスノートでインターネットを駆使した責め合いとかの方が熱かったのでは?

総合評価は25点.もう観ません.

「聲の形」から考える2つのこと

http://koenokatachi-movie.com/img/top/keyvisual.jpg

聲の形を観てきましたのでレビューする.

聲の形は,漫画が原作の映画だ.

僕は漫画は読んでいなかったんですが,大大大満足だった,

 

1つの映画としてしっかりとまとまっていて,後腐れもなく,観終わったあと心に何かを残していく,という点で非常に満足感を得られた.

 

観終わった後,じんわり胸の中で反芻して,「ああ,いい映画だったな」と思う感じ.

僕は松竹の映画が結構好きなので(ソロモンの偽証など),頑張ってほしいなって思う.

 

聲の形

 この映画は,単なる感動映画ではない.

この映画を見始めたとき,僕は主人公たちのそれぞれの感情が痛いほど伝わってきて,本当に苦しかった.

なぜなのかは下に書いていきたいと思う. 

この映画を観た人は,かならず考えなければならないことが2つある.

それは

 

1.耳が聞こえない(聴覚障害)ということ

2.いじめ

 

だ.

 

 1.耳が聞こえない(聴覚障害)ということ

一つ目は,この映画の根幹である聴覚障害の西宮さんから,障害に対して僕らがどのように向き合うべきかを考えなければならない. 

ヒロインの西宮さんは重度の聴覚障害で,自分の声を上手く聞き取る事ができず,発声が上手く出来ないため筆談や手話で会話する.

耳が聞こえないということは,危険を察知することが難しい,ということだ.例えば,後ろからの車に気付くことが難しい.

西宮さんのお母さんは,西宮さんに人並みに生活できるように,あえて聴覚障害者学校に行かせず,一般の学校に行かせた.

普通の子と一緒にすごすことによって普通を目指すキッカケが増えればいい

 *1

 

自分が普通では無いことを自覚させ,普通に追いつかせ,人並みに生きるために自立させるためだ.

僕らが生きるこの世界には,僕らが思った以上に障害をもつ人たちがいる.

聴覚障害は,障害と名がついていますが一つの個性だと僕は思っている.

 

耳が聞こえにくいという個性,これをしっかり受け入れることが普通であるし,その壁をみんな普通に超えていければ,世の中がほんの少し良くなると思う.

 

いじめ

二つ目は,西宮硝子さんから石田将也くんに移っていくいじめから,僕らは考えなければならない. 

まず,みなさんなら,小学生のときに「こんにちは」という言葉を「こーにいわ」と喋る小学6年生がクラスにいたらどうだろう.

しっかり会話して,仲良く出来ただろうか. 

聴覚障害をもつ西宮さんは,最初その喋り声や他の人との違いから,徐々にいじめられるようになる.

その主犯が石田くん(主人公)だった.

しかし,その石田くんも学校のいじめ調査の日からいじめの対象になってしまった.

石田くんは,自分がいじめられて初めて西宮さんにしたことの大きさに気付く.

石田くんはその日を境に,自分に鎖を巻きつけ,西宮さんに対しての贖罪として一人で過ごしていくようになっていく.

 

みなさんも,もしかしたら石田くんの立場になっていたかもしれない.

 

友達を作ることを自分からやめて,「自分は幸せにはなってはいけない人間だ」と思い込んでしまった.

たしかにいじめはやってはならないことだ.

いじめをされた本人につけた心の傷は,どうしようもなく深いものになってしまう.

だから一概にも「反省した石田くんは,いじめをしたのは小学生のことだし許していいでしょ」なんて言ってはならない

 

小学生のときに付けられた心の傷を,一生背負って生きている人もいる.

しかし,石田くんは「いじめ」というものの本質を理解することができ,しっかりと償おうとした.

いじめをした石田くんは,どうやったら救われるのか.

 

それは,いじめをしてしまった人から,「許される」ことだけだと思う.

自分のしてしまったことに関しては,取り返しはつかない.

だが,長い時間をかけて一生懸命償った石田くんを,責めることはできないだろう.

西宮さんが許し,石田くんは自分自身を許し,そうすることで彼は解き放たれるのだ.

僕は,最後に石田くんが自分を許すことができて,本当に良かったと思う.

 

西宮さんと石田くん

聴覚障害者の西宮さんと,自分を許せなくなり外の声が聞こえなくなった石田くん.

世界を聞けない二人が救われて本当に良かった.

この映画を観ることで,少しでも多くの人が自分の行動を考え,世界が,ちょっと素敵になったらいいなって思う.

*1:映画聲の形 Special Bookより引用

【改めて】千と千尋の神隠しを観るにあたって

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スタジオジブリ総選挙で千と千尋の神隠しが1位になり,TOHOシネマズで数カ所上映されることになりましたね!

はい.TOHOシネマズ六本木では,9月10日から16日までの6日間にかけて夕暮れから夜の時間帯で上映されます.僕も深夜0時のチケット争奪戦で見事に勝ち取ることができたので,観て行きたいと思います.とても楽しみ.

 

争奪戦は,多分スマホよりもパソコンのほうがいいと思います.

理由は,更新ボタンが簡単に押せるからです.

 

WindowsユーザーはF5を押すことで,自分の指定の日時のところに矢印を置いたまま更新することが出来て,他の人より一歩リードできます.

Macユーザーは,command+Rを押すことで同様に更新することができます.

 

是非活用してみてください!

 

さて,ジブリ作品はどの映画も都市伝説のような話がはびこっていますが,そういうのは覗いて,僕が考える見どころを整理していきたいと思います.

 

まず小さい子供にトラウマを植えつけた,お父さんとお母さんの容姿の変貌シーン.これは衝撃でした.「クレジットカードあるからいいのよ〜たべましょ!」とか,「千尋,すっごく美味しいよ〜」などといって,ジュルジュルと音を立てて食べる姿は,変貌する前から豚のようでしたが,まあ置いといて.

千尋がハクに出会って,「ここにいてはならない!早く元の場所に戻るんだ」と言われて,お父さんとお母さんのところに戻ると,二人は豚になっていました.
ここでお父さん(青色の服を着た豚)に注目すると,人間だった頃の髪が生えているんですね.これが,千尋が会いに行った後にはもう無くなってるのが面白いなと思っています.丁寧に剃ったのかなと.(そんなに見どころではないか)

 

坊の声が,小さいころの神木隆之介くんが出していることは,結構見どころなのではないでしょうか.君の名は。が公開されて,その主人公瀧くんの声を聞いた後に坊の声を聞くと,なんとも言えない時間の経過を感じて感慨深くなると思います.

 

 

映画の内容についてでは,千尋の精神面での成長が見どころです.

冒頭ではわがままで気だるそうな,所謂今時の学生だった千尋が,様々な試練や出会い別れを乗り越えて,生まれ変わっていきます.

宮﨑駿のすごいところは,この”生まれ変わり”の心情変化が,ものすごく滑らかにつながっていくところです.宮﨑駿は少女の純粋無垢な心情を描くことに全てをかけている人です.(言いすぎかもですが言い過ぎではないと思います.)

身振り手振りや視線,声のトーンまで納得行くまでリテイクしていくのは,非現実の中で現実を見せようとしているからだと感じます.

その非現実の現実の世界に僕らは足の先から頭のてっぺんまでどっぷり浸かり,瞬きすることも忘れて観ます.

 

あの2時間ちょっとの時間の中で,僕らは一人の人間の大きな大きな成長を観ることができます.その中で,自分の悪いところや良いところをちょっと照らしあわせて,ちょっとだけ自分を変えることができたら,それは素敵なことだと思います.

 

僕も,もう一度映画で千と千尋の神隠しを観ることで,成長したいと思います.

「君の名は。」は過大評価されているような

君の名は。」を観てきた感想を書いていきたい.

ただ,最初に言えることは「みんなが絶賛するほどの映画だろうか?」ということだ.単純に面白かった.ただ,特に残るものもない.そんな感じ.

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一応,過去作から振り返ってみる.

新海誠は,前作「言の葉の庭」から約3年後の2016年に「君の名は。」を作った.

言の葉の庭」は新宿御苑を中心になって話が展開していく恋愛の物語だったが,歳の差の割に先生が若すぎるユキノ先生のせいで現実味を帯びられなかった印象があった. 

豆知識だけど,言の葉の庭に出てくるユキノ先生は,君の名は。の古典の先生だそうだ.

 

言の葉の庭 - Wikipedia

 

新海誠は,風景をものすごく丁寧に美しく描く,作家だ.

秒速5センチメートルの背景も,それは綺麗なものだった(つい最近見た感想).話も,女性と男性の記憶の仕方(例えば女性は上書き保存で,男性は名前をつけて保存とか)を顕著に表していて,個人的に非常に面白かった.観た後に切なさが残る,その自分の切ない気持ちを実感して更に悲しくなる.でも次の日は少し頑張っていきてみようかな,と思える.そんな感じである.

 

秒速5センチメートル - Wikipedia

 

ただ,キャラクターがものすごいことになっていた.作画崩壊が多くて驚いた.きっと「君の名は。」を観た後に,みつはが可愛くて他の映画を見ようと思い,秒速5センチメートルを見ると,衝撃を受けるだろう.

調べると言の葉の庭からキャラクターデザインが新海誠ではないらしい.ただ,その潔さは逆にいいと思う.

 

 

話は長くなったが,ここから僕が「君の名は。」を観た印象を書く.

 

普通に面白かった.

 

ただ,大事なのは「普通」というところで,みんながTwitterなどで呟いているほど大絶賛されるほどではない印象を受けた.観るのも一度でいいかな.

金曜ロードショーで十分楽しめるレベルって感じ.

 

 

君の名は。」は男女の入れ替わり物語である.

ただ,その入れ替わりは普通ではなく(入れ替わり自体普通ではないが),そこにはさらに時間の差がある.女の子(みつは)は男の子(瀧くん)の生きている時代の3年前に生きていて,3年間を通り越して入れ替わるのだ.

 

最後には,3歳年上のみつはと瀧が出会ってハッピーエンドで終わる.

 

過去を塗り替えることでみつはは生きることができるのだが,すぐには二人は出会えない.

え?出会えないの?出会えるでしょ?どうなのどうなの??あー!出会えた!良かった!」 

おわり.

 

何が伝えたかったのだろう.ずっと思っていれば夢は叶うとかだろうか?ちょっとありきたりすぎるし,それを伝えたいならお互いを忘れちゃだめだろう.それだったら,秒速5センチメートルの方がメッセージ性があって心に残った.

 

 

また,時間のすれ違いを描くには少々詰めが甘い感じもした.

二人はお互いのことをiPhoneらしきものでメモして伝え合う.ここの設定がいまいちだったように思う.

 

現実に3年も経っていれば,デバイスの筐体はかなり違うものになっている.今iPhoneは6sだが,3年前は5sである.OSも一新されているし,その時間差に気付くのが普通ではないか.ここの設定が曖昧でちょっと残念であった.カレンダー機能を使うのであれば,嫌でも日付を認識しそうなものである.

 

また,二人が3年前の同時間軸にいるのかどうか,その時間軸設定も練りきれていなかったかなと思う.

 

隕石事件を知るまでの二人の時間軸は,3年違いの同じ日でないとおかしい.全ての時間は平行して並んでいて,二人はたまたまその時間軸を飛び越えてしまったと考えるのは自然なことだろう.

みつはが瀧くんのスマホに残していた記録が,瀧くんが隕石の被災地に行った瞬間無くなった.その瞬間の3年前に隕石が落下しみつはが死んだからだと考えると,瀧くんが口噛み酒を飲んだ時,入れ替わりはなぜか隕石が落ちる日の朝になる.これは3年前の同時間軸では無いから,タイムパラドクスが起こるのではないか.

 

また,みつはが東京に瀧くんに出会いに行っているなら,瀧くんがみつはになった時に「自分がみつはになっている」ということを認識しないとおかしい.

 

映画や感動のために無理やり都合よく時間をいじるのは僕は受け付けなかった.もうちょっと練って欲しかった.

 

では,なぜここまで世間では評判がいいのだろうか?

その最大の理由は,Radwinpsだと思う.今中高生に絶大な人気を誇っている彼らの音楽が要所要所に使われている.

CMの段階で「前前前世から僕は〜♪」とキャッチーなワードを繰り返すことで頭に残りやすい.

心に染みるような歌詞もあるんだから,そこらへんの世代にはクリティカルヒットするのは間違いない.

Twitterなどで話題として取り上げやすいし,そういった点で浅い評価が膨れ上がっているのではないかと思う.

 

僕個人的には,劇中歌はちゃんとそれにあった曲を監督に選んで欲しかった.全部ラッドじゃなくても,CMでは前前前世を推しまくってたんだからそれだけでも十分だったんじゃないかな.ちょっとお腹いっぱいって感じた.

 

Radwimpsのとても長いPVって感じの方がしっくりくるかも.

 

まとめとして,普通におもしろい映画だった.さすが新海誠ってだけあって風景は本当に綺麗だし.物語も面白かったけど,もう一回は良いかなと感じた.

 

 

シン・ゴジラ レビュー

ゴジラを全く知らない人間が,庵野監督の映画シン・ゴジラを見た感想を直球で書きたいと思う.

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ゴジラ”という単語くらいは,黒くてでかい怪物,という知識レベルで知っていた.また,黒い怪物が日本で大騒ぎして退治する物語なんだろうな,と思いながら,それでも絶賛されていたので観に行った次第である.

 

映画を見た感想は,正直に”面白い”の一言に限る.

 

何が面白いのか.

人によって様々な感想があると知りながら,僕の考えを述べたい.

 

シン・ゴジラは,ただのゴジラが出てきて暴れて終わり,というお話ではない.ゴジラがきっかけで動き出す,本当に極限にありそうなリアリティを映画に留めた,という印象である.

自分は自衛隊などに関する基礎知識はないが,政府の人間が「きっとこうするであろう」という動きに対して,ものすごく共感して苛立ちを感じてしまったのである.

その苛立ちや不安を押し避ける結末によって,よくわからない爽快感に溢れ,映画館を出ることができた.

 

 

庵野秀明は,実際にゴジラが現れた時どのような対応を取るのかを,防衛省自衛隊に協力してもらい,ミーティングを繰り返していくうえで,更なるリアリティを追求していったそうだ.

シン・ゴジラ - Wikipedia

 

映画中に,人が血を吹き出して死ぬような表現は一切なかった.描写されたのはグチャグチャになった町並みと,その直前の家族の風景だけである.それなのに,僕は手に汗を握りながら映画を見ていた.

物語の進み方もテンポよく,そして疑問に思うこともなく進んでいった.まるで,自分もゴジラによる被災地域の一人としてドキドキしながら終始映画を見ることができた.それがきっと面白さの要因なんじゃないかと思う.

 

ゴジラは,天災に置き換えることもできると思う.

 

例えば大地震に置き換えてみる.東京近辺は高層ビルや電車は軒並み使い物にならなくなり,実際の住民たちは理解の範疇外に起こる出来事にうろたえ死んでいくだろう.

東日本大震災の時の原子力発電所の問題(現状でも解決はしていない)による,放射線による被害は,僕ら国民にはよくわからないものだった.それによって日常を汚染されていくさまは,ゴジラそのものだと思う.

非現実なのに,現実のような錯覚を起こさせる.あの映画は本当に素晴らしいと思う.

 

また,演技力の高さで評価される長谷川博己石原さとみ石原さとみは可愛さもピカイチだが)の演技は,映画の世界観を損なうなんてことはなく,むしろ引き立てていた.

 

ゴジラとは,今現在の世界では考えられない虚構である.つまり,現実かけ離れた存在である.しかし,なぜ映画を見た人は,その映画に陳腐さを感じないのか.これは,ゴジラ以外の部分が全て”現実”だからである.現実に囲まれた虚構は,現実に見えてしまう,ということだろう.

 

 

あの感動や迫力は,テレビの画面では絶対に味わえない.

ぜひ今のうちに映画館で「シン・ゴジラ」を見てほしい.

何かが変わるわけではないが,つまらない日常が少し潤うことは間違いない.(明日友達に話したくなると思う)

 

(一番最後に意味深なラストがあったり,エヴァ好きな人からは深くまで読み取ってああだこうだ書いている文章もあるとは思うが)ただ,純粋に見て楽しめばいいと思う.