時計の秒針音

少しずつコツコツ意味を貯めてく

変拍子の曲を作るのはずっと昔から決まっていたという話

色々あって「マスロック」や「ポストロック」という概念についてちょっと掘り下げている時期で,CHONやAmericanFootballとか王道だけれど今は結構聞いている.

 

変に理屈っぽいので,物事を知るときは原理とか生まれを理解しないとちゃんと知覚できなかったりする.そのため「マスロック」って何が起源なのかと思って調べてみた.

 

マスロック (Math rock) は、ロックの一種。キング・クリムゾンスティーヴ・ライヒらの影響を受けた複雑で変則的なリズムギターを中心とした鋭角的なメロディ不協和音などが特徴である。 

 

ここにある「スティーヴ・ライヒ」という人の名前を見たとき,「おや?この名前見たことあるぞ」と思って調べてみた.

 

Steve Reich2.jpg

 

この人ですね.

 

僕この人のCD昔から持ってた.

 

 

大学生の時に,音楽の勉強を始めようと思ってひたすらいろいろな音楽を聞いた時期があって,その時に一発目で好きになってその後繰り返し聞きまくった音楽が,このスティーヴ・ライヒだった.ミニマルミュージックというジャンルで永遠に聞いていた.

 

マスロックの起源がスティーヴ・ライヒの影響を受けた複雑で変速的なリズム,というのが正しいなら,僕は昔からこの系統の音楽が性にあっていて,よく聞くと昔から作っているSEとかはミニマル感があったりしている.

 

中学3年生までピアノを習っていたんだけれど,先生に「じょぶず君は王道よりちょっと変わった曲の方が好きだよね」と言われ,変な曲をピックアップされて弾いていたことを思い出した.

(その後王道を弾いてみたくなり,ショパンとかの譜面を引っ張り出したのだが.)

 

 

自分語りになってしまったけれど,すごく衝撃的だった.もうこのジャンルを好きなのは性癖以外になく,僕の人生においての根幹をなすものなんだなと腑に落ちた.

 

スティーヴ・ライヒという起源からスタートしている僕は,正統派マス・ポストロックの伝承者と言っても過言ではないのではないか(言い過ぎ)

 

 

 

追記ーーーー

CHONと書いたが,最近のCHONはマスロックというよりプログレ感が強く聞けてない.プログレ感というとichikaという方の演奏も同等.
ギターはとてつもなく上手いが,酔ってくる.気持ちよく聞くことができない.

これも性癖だが.

さて,誰の言葉に耳を貸そうか

(僕は夏に対して,特別な思い入れが無いことに気づいた.)

 

自信,という言葉がある.

「自信があるね」とか「自信に満ちている」という風に使う.

 

自(みずから)を信じる.

 

という言葉.

「自らを信じるがあるね」とか「自らを信じるに満ちている」という風に,単純に当てはめるとうまくいかない.

この言葉には「力」という言葉が隠されている.

 

自らを信じる力=自信

自信が無いということは,自らを信じる力が無いということだ.

自分を信じるということは,簡単そうに見えてとても大変で苦しいことだ.「普通」というよくわからないものを中心にこの世界は廻っていて,それに外れていないか常にビクビクしながら生きている.ただ,「一番普通でいること」=「自信がある」にはならない.「普通であるという自分を信じる力がある」ことの意味の無さがわかる.「普通」に自分を無理やり当てはめてしあっている時点で本来の自分を信じていない.

普通でいようとすること=自信がないこと,といえる.

 

自分自身をどれだけ見つめて,輪郭を認識できるかが,自信に繋がると思う.

誰に指を刺されても良いのだ,誰も僕を笑う権利なんて無い.

 

何を根拠に笑っているの?

服装が何と違うから笑っているの?

喋り方が聞いたこと無いから笑っているの?

見た目が違うから笑っているの?

髪型がまっすぐじゃないから,色が黒じゃないから笑っているの?

君が知らないだけじゃないか,笑うなんてとんでもない.君が生きているそのままが素敵なんだ.理解力のない馬鹿は放っておくのが良い.

誰も君を笑う権利なんて無い.

 

だから,君が君を笑うことは絶対にしてはいけない.

君だけは君を信じていなければいけない.

君が君を信じていれば,それはいずれ自信になる.君自身を信じる力を持って生きていこう.僕も.

 

さて,誰の言葉に耳を貸そうか.

 

 

眠るのが嫌い

眠るのが嫌いだ.

 

仕事をしている時間は自分のやりたいことができないから,帰ってきてからしたいことをするしかない.

ただ,疲れ切っているから朝やろうと思ったことの9割はできなくて,YouTubeを見たりアプリゲームすることくらいしかできない.(ただこれは僕にとって心の疲労を回復する一つの方法でもある.人生においてはかなり無駄な時間であるという認識もある)

 

無駄な時間という認識があるから,頭の中では罪悪感でいっぱいになりながら,肉体的にも精神的にも疲れ切っており,やりたいこと/やらなければいけないこと,まで手が回らない.

 

人生を80歳までと考えたら,僕は今25歳だから,あと55年しか生きられない.

そのうち,創作活動ができるのはあと20年もないかもしれない,

今しかできない.

 

YouTube等横になって何も考えずにすごす時間により心と身体を一時的に回復させる.それで大体深夜1時を廻る.その後風呂に入ったりすると2時や3時を廻ってくる.

 

次の日も就労なので朝はわりと早いが,「やらないといけないこと/やりたいこと」が全く終わっていないこと,休んだことで仮初めにも少し元気が出てきたことで,眠る時間が惜しくなる.

 

できれば,気絶のように眠りたい.

睡眠がただの娯楽であるならば,僕には不必要なものなのだけれど,どうしても体力回復のために必要であるから,どうしようもない.

(睡眠時間が減ってくると,精神的に変になることも否定できない)

 

先にも書いたが,死ぬまで・創作できなくなるまで時間がほんとにない.

テレビゲームもめっきりしなくなったし,ドラマはリアルタイムでは見ないで,録画して2倍速で観るようになった.

 

できる限りインプットには時間をかけたくなく,なるべく短い時間で大量のものを摂取したい.

YouTubeは早送りが2タップでできるようになったからありがたい.

 

音楽は,Bluetoothイヤホンを買ってから,通勤中に大量に無差別に聞けるようになったから,インプット量がものすごいので最近は充実している.

 

本は集中して読まないと行けないから,敬遠しがちである.

 

映画は家で観るなら倍速だ.(映画館で観るときは,しっかり世界に入り込むため時間とかは全く気にしない)

 

ーーー

 

もうこんな時間で7時には起床しないといけないのだけれど,本を読んだりギターを弾いたり(これは物理的に無理だが),音楽を聞いたり,詩を書いたり,漫画を読んだり,まどマギを見返したり,絵を描いたりしたい.

でも寝ないと死ぬからどうしようもない.

 

眠るのが嫌い.もったいない気がしてしまう.あーあ.

眠るか,仕方ない.

(起きるときは寝覚めは最悪で,もう少し早く寝ておけばよかったとなるのは言うまでもない)

 

※かなり脱線するが,macの変換が以前よりアホになった気がする.「詩を書く」という分をタイプしていきなり出てくるのが,師を書くってなんやねん.

25歳になった

じょぶずです.

 

25歳になりました.

ねねちゃんがツイッターで公式も動かしてくれて,いろんな人からコメントいただけて,なんかすごい嬉しいです.

ありがとうございます.

 

ブログというツールがあるので,ことばをきちんと様々な人に伝えることができるので,とても良い時代になったと思います.

 

僕はずっと邦楽というものに触れていなく,ずっとピアノを弾いていました.そもそも音楽自体にそんなに興味はなかったように今は思います.ただ,小学1年生の時の「今月の歌」でポルノグラフティのアゲハ蝶が選ばれて,初めてそういう音楽あるんだなって知ったような気がします.それからはずっとその歌を歌っていた.

 

njobs.hatenablog.jp

 

 

それ以来また,ちゃんと理解せずに中学生にあがり(この頃は外部チームでサッカーをしていたりしていた.が,そんなにうまくなく,上手い人たちの合間でフラフラと生きていたように思う.小学生の頃はループとシュートの違いが理解できず,ただ闇雲に思い切りボールを蹴っていた.中学に上がった段階で慣れていたミッドから何故かセンターバックにされ,さらに意味がわからなくなり,スタメンから外されるなど結構散々だった.引退間近になって,監督が代わり,僕をセンターバックからフォワードに抜擢してくれてスタメン起用してくれたときは,一生この人には頭上がらないと思った.と同時に,やっぱり保守的ではないな,性格的にと実感した)

中学校2年生の時に,BUMP OF CHICKENの曲を教えてもらい,初めてorbital periodを借りて,聞いた.どれもしっくり来なかったけれど,flybyがやけに耳に残ったな,そういえば.

母親とラーメン屋に昼を食べに行った時に,あの短い曲をずっと聞いていた.BUMPを聞いていた僕,ちょっと格好良いんじゃない?とかおもっていたりした.

 

ラフメイカーに出会って,物語のような歌があることをしり,MAD(であっているのかはわからない)でいろんな人がそれぞれに曲に合うイラストや漫画を書いていて,とても良いなと思っていた.

そういう音楽を作りたいと思ったし,BUMP OF CHICKENのメンバーが中学校の同級生でそのまま今も活動しているというのに憧れて,いつかはバンドを組みたいと思っていた.
ギターを買うきっかけになったのは,中学生の時の同級生がギターで洋楽(のブラック・サバス,クイーンを筆頭にMEGADETHやIRON MAIDEN系をめちゃくちゃ聞く人で,そういった方面のコピバンをしていた.そのうち自分で歌詞を書きたくなり,高校の時にノクターンが出来上がる)をコピーしていて,ノリでギターを始めた.

親に誕生日プレゼントでアイバニーズの入門セットを買ってもらった.ちょうど10年前?

 

(10年前!?やばいな!!)

 

高校生になり,高校の同級生に声をかけ,ノクターンを結成したが,色々ありうまく行かず,メンバーは入脱退を繰り返し,結局はネットで募集をかけた人たちのほうがうまくいくという現実が残った.

 

ねねちゃんもメン募サイトで知り合って,すぐできた曲がtwilight


ノクターン『twilight』

 

ここから,ノクターンの進むべき音楽が確立したように思う.

 

24歳,僕は社会人2年目でバンドで音楽をしながら仕事中は社会の歯車になりながら,必死に生きていたな.

最近やっとたくさんの人と知り合って,ノクターンの音楽を好きだと言ってくれる人たちと出会って,尊敬できる先輩たちができて,今とても幸せに感じています.

 

 

ーーー

幸せだからと言って辛いことがないわけではない.

幸せと辛さというのは交わることがないので,並行に存在します.

幸せを感じながら,別の面で辛さを感じるタイミングはとても多く,辛さを幸せで上書きすることなんてできない.

それを認識していない人が多すぎる.

余談だけれど.

ーーー

 

24歳,ツアーをして,MVを出して,アルバムを出して,サーキットフェスにも出て,まだまだ.まだまだまだまだ,やりたいことがある.

令和になって,25歳になった.

たくさん音楽を聞くようになった.

 

きっともっとたくさん傷つくだろう.

良いことと悪いことを両方共受け入れて咀嚼し,すべて音楽として出力していきたい.

僕がこれから生きていくことで,誰かの何かが変わってくれればよいな.

それがバタフライ・エフェクトとして,音楽業界が変われば良いな.

それによって日本が変われば良いな.

 

そう思う.

 

僕にはそれをするだけの力があると思うし,ノクターンにはそれを現実にする力がある.

 

大躍進するぞ.

えいえいおー

 

 

p.s.

誕生日プレゼント待ってます.

MVというもの

先日,かねてから本当にお世話になっている方に依頼していたMVを公開した.

曲名は「haise」という.

 

僕は映像に関して,専門的な知識がまったくない.

雰囲気とか,こういう気持ち,とかそういうことでしか伝えることができない.

 

なので詩を読んで,解釈して,映像にする,という仕事はとてもすごいことだと思う.

(仕事と表現したのは,金銭のやり取りが当然あるからだ.)

ありがたいことだ.

 

 

ーーー

 

公開して皆さんの目に触れるのは,3分10秒.

それ以前に,僕が音楽と詩を描いていた時間.

ねねちゃんがドラムフレーズを考えた時間.

 

濃縮還元ジュースのようだ.

露骨だね.

(よく考えたら,今手にしているものすべて,誰かが積み上げてきた時間の上に成り立っている)

 

ノクターンとしても,3分10秒という短い時間の曲は初めてで,

キャッチーでわかりやすく,しかし奥深く,

というものを目標に作った.

 

かなり習作のような立ち位置にあると思う.

 

ーーー

 

そもそも,時間の短い曲を僕が作れるのか,という疑問があった.

 

ーーー

 

下北沢近松,というライブハウスがある.

このライブハウスのイベントで,各日行われるライブでの選出バンドはサンプラーを作成していただけるというものがあり,ノクターンは見事選出された.

 

僕は選ばれたらMVにします,と公言していたんだけれど,精神がバグった時期に,一気にツイートを削除してしまって,みつからなかった.

(有言実行したから褒めてほしい)

 

選べれた段階でhaiseは一音たりとも出来上がっておらず,

その日以降から約2週間(くらいだったと思う,たしか)で作成した.

 

試作の段階でねねちゃんに音源を投げて,レコーディング前々日の段階でかなり変更を加えたものを

送ったから,本当に大変だったと思う.

 

頑張ったからたくさん,見てよ

でもYouTubeでMVを観るって結構コストかかるよね.

 

本当は生活の一部でながら観ることができれば一番なんだけれど.

そうも言えないね.

 

あーあ

 

腕時計をしよう

僕は好んで腕時計をしている.しかも,少し重めのものが好きだ.

もうかなり長いあいだ腕時計をしている.

 

僕の体は,もうすでに重心が若干右にずれている.

それは腕時計を普段つけているから,左の重みと釣り合わせるために右に重心がずれているのである.

この偏りこそが僕である.

長い年月をかけて,この偏りが僕となった.

美しい傾斜.

 

もう腕時計は,身体の一部になっている.

 

こうやって,僕は身体以外のものが少しずつ身体になってきてしまっているのだ.

もうギターもそうだ.

 

僕はいつの間にか,多くのものを背負っているようだ.

この重さや痛み,傷が自分を形作っている.

すべて記憶らしい.

 

傷口を見て,記憶が鮮明によみがえる.

 

人は記憶の塊なのかもしれないね.

 

あの日の僕の影を,いつまでも追いかけてしまっているのかもしれない.

人は想い出に生きている

どこもかしこも,誰かと歩いたり遊んだりした想い出であふれている.

僕はまだ実家に住んでいるから,家の周りにはいろんな記憶が溢れている.

 

中学受験期に,数少ない友達とくだらない話をした交差点の白いガードレール.

そろばんの塾の帰りによって,泥団子を投げあった公園.不審者が出た公園.

焚き火をして怒られた.

 

好きな人たちも嫌いな人たちも,記憶に残っている.

記憶によって自分が形成されて今の自分の存在がある.

未来に生きることは,本当はできないのかもしれない.

すべて過去に経験したことの焼き直しでしかないのではないだろうか.

 

なんの話だ.

 

GWはいわゆる旅行とかは全く行ってなくて,バンド練とか数少ない友人とお酒を飲んだりした.

寒かったり暑かったり,体調を殺そうとしているな,地球め.

 

何かを得るためには何かを失わないといけないという,等価交換の原則は,結構本当なのかもしれないな.

 

僕ら記憶によって形つくられている.赤ちゃんが一番創造的なんだね.どの瞬間から,記憶によって未来を予想するようになるんだろう.

 

少なくとも,経験がないものに関して否定するような嫌な人間にはなりたくないな.