たぶな似顔絵(初回版)に申し込んだ
どうも.じょぶずです.
たぶなさんご存じですか?
優しい絵柄で,ちょっとセンチメンタルになるような,寂しい夜にひっそり横に付き添ってくれるような4コマ漫画などを描かれてる方です.
僕もTwitterで見てからひっそりとファンなんですが,この方がおためし版ということで,写真を送ったらたぶなさんの絵でその写真を画像にしてくれるというサービスをやっていたので,「こんなチャンスはめったにない!!」と思いましてすぐにお願いしました.
結論から言うと,お願いして良かったです.
どんなサービスか
たぶな(@tabun_na)さんに自分がイラストにして欲しい画像を依頼して画像にしてもらうサービスです.
たぶなさんにお金を支払うことで,jpgのカラー版の画像データと白黒のアナログ原稿を購入する形です.
金額などの詳しい詳細はあとでまとめます.
詳細
金額などの詳細は下記にまとめました.(コピペです)
①データのみ→1500円
②データ+アナログ原稿(普通)→2500円
③データ+アナログ原稿(書留)→2800円
好きな作家さんに自分の画像描いてもらえるって考えたら,僕はとてつもなく安いと思うんですが,そこは人それぞれですよね.
僕は即決しました.
金銭のやりとりがありますが,たぶなさんの対応は懇切丁寧で全く不安はありませんでした.データが万が一使用できなくなってしまった場合,アナログ原稿を持っていればまた新たに対応してくれるとのこと.神対応ですね.安心安全.
あと,誓約書を書くことになるんですが(名前を記入するだけですが),この誓約書もたぶなさんの手作りでとてもかわいかった.
届いたものたち
水色封筒に入っていて,お手紙とアナログ原稿が入っています.とても丁寧です.
第2回をやるみたいなツイートを見たので,もし興味のある方がいればお願いしてみてはどうでしょうか.
僕は満足度100です.
(うさぎ泳いでる)
正しいことをし続けるのは辛い
正しいことをし続けるのは辛い.
良くないことって言うのは,すごく簡単で心地が良い.流れているだけでよいからだ.立ち向かう必要すらない.本能に身を任せ,ただ野性的に生きるだけで良い.
権力や影響力を持つ人達は,こぞって悪いことをする.ましてや,それは仕方ないことだとでも言うように擁護する人達もいる.それに翻弄されて頭の悪い人たちも騙されてしまう.そうやって良くないことというものは力を持って,正しく生きている人たちに刃を突きつける.いずれその刃に突き刺された正しい人は,正しく生きることに疲れ良くない生き方をするようになる.
「善悪の区別」が曖昧になってきてしまっている.
良くないことに良くないと言うことが良くない世界になってきている.これは理性の汚染だ.理性を汚染された人間は,ほかも汚染しようと動く.きっとどこかでは良くないことをしてしまっているとわかっているのだろう.だから,正しいものを汚すことで自分を正当化したいのだ.正しいことをし続けることは,多くの敵を相手にしないといけない.正しいことが正しい世界であるべきなのに,それは現実的では無いといわれる.多数決の原理によって消えていった正しいことを,僕は何度も見てきている.
だからこそ,僕は正しいことをし続けていたい.
正しいことは正しいのだ.それは間違いではない.多くの誘惑に打ち勝つ力をもって,善悪の区別を判断する力を持って,自分を正していきたい.
どんなに辛くても,悪いことに流されてはいけない.そうでもしないと,僕はいつか自分を嫌いになってしまうからだ.人を愛するために自分を愛していたい.自分を愛するために正しいことをしていたい.
自分に嘘を付くことだけはだめだ.自分を生かすのは,どんなときでも自分だけだ.
誰にも後ろ指を刺されないような
正しく生きていたい.
正しいことをし続けるのは辛い
時間が流れている実感と言うものを認識するのって物凄く難しいことだと思う.たしかドラえもんの何かの話で,時間を視覚化するとものすごい速さになるっていうのがあって,くそみたいな1日を過ごしそうになった時はその話を思い出して人間に戻ったりする.
堕落するのってとても簡単だ.
悪いことをするのって,なんであんなにウキウキするんだろうね.って話を誰かがしてくれれば,その人に対して素晴らしい正論で反抗することが出来ると思う.そうやって悪いことを否定することで,自分は正しい人間だって相対的に言うことが出来るからなんだろうな.
多分大部分の人は正しい人間でいたいって思っているんだろうな.昔にアンパンマンを見てきたからやっぱり勧善懲悪が良いことだって思うと思うし,僕もそうだと思う.悪いものにはそれ相応の罰を与えようって思う.
でも,正しいことをし続けるのって物凄く大変なことで,ふと意識を落とすと知らない間に悪いことをしてしまっていたりする.悪いことをするのってとっても楽なんだ.好きなものは好きなだけ食べたいし,ずっと寝てたいって思うし,お金が落ちてたら拾いたいって思うだろうし,それを我慢することって難しい.辛い気持ちになる.辛いのってみんな嫌いだから,みんな楽な方へって流れていってしまう.
頭で理解できているのに,やめられない.だから悪いことをした人を見たらその人を責めることで,自分の立ち位置を元の位置に戻している.(それか自分より悪いことをしている人に対して羨ましく思っているのかな,自分はちゃんと正しくあるのにっていう感じで)
そういうところってすごく人間らしいって思うしとても美しいなって思う.欲望そのものって感じで良い.だから,僕はそれを遠くから眺めて(面白いな)って思える位置にいるために,ずっと正しくあろうって思う.
朝ごはんを食べること
朝,起きたら外から鳥が囀る声が聞こえて来るわけでもなく,目覚まし時計の音で目が覚める.
いつの間にか,目覚まし時計の音がトラウマに鳴っていることに気付くけれど,それで起きれるのだから問題ないかなとも思う.
心臓の音が耳に響いて,「あーこりゃやばいな」とか思いながら思い切り立ち上がり,カーテンを空ける.日差しがさすわけもなく,曇りだ.
天気に左右されるような軽い精神でもなく,晴れていても曇っていても雨でも,変わらず眠さだけが脳を埋め尽くす.
朝ごはんはだいたいパンを食べる.
パンを焼く時は,うっすら焦げ目がつくくらいが良い.
熱が逃げないうちに薄くバターを塗ってかぶりつけば,少し目も覚めてくる.
温かいコーヒーを入れて,その香りを嗅ぎ「あー今日も行かないとなー」としんどい気持ちにけじめを付け,どうでもいい朝のニュースを見る.
ニュースの左上の時計が20分になったら椅子から立ち上がり.洗面所に向かい歯を磨く.
ヘアバンドで髪を束ね,洗顔剤で顔を洗えば目が覚める.
そうして,どたばたしながら着替え,時間ギリギリで家を出る.
繰り返しの日々の中で,何度も何度も食べた「あさごはん」という概念に飽きることはない.
朝目が覚めれば腹が減る.
腹が減るからパンを食べる.
それで良い.
それが良い.
心がだめになった時は.
嫌なことを言われてすぐに怒れる人はすごいと思う.
「なんでこんなこと言うんだ!怒ったぞ」と言える人はどのくらいいるんだろう.
僕は違う.
「(なんでこんなことを言うんだ!!)あぁー,すみません」
その場で対立することが嫌なのだ.怒るのはとてもエネルギーのいることで,僕はほとんど怒ってないと気づいた.
中学生の頃は,僕はよく怒っていた.クラスの行事に取り組まない男子に,「ちょっと男子ーちゃんとやってよー」という女子よりも怒っていた.
というより激昂していた.
高校,大学,社会人,となるにつれ,そういった場面も少なくなり,小言のような悪口を言われてイラッと来ても,「それ僕だから怒らないけど,他の人だったら怒ると思うからやめたほうが良いよ」と優しく伝えるのみである.
ちゃんと伝えないから相手も調子に乗ってさらに言ってくるんだろうけど,仕方ない.怒るの疲れるから.
相手がこれを言うことでどういう風に感じるかというのを全く考えられない人っているけど,あれってどうなってるんだろうか.不思議でたまらない.
昨日から今日にかけて,なにかひどく心が疲れていた.前記した内容の関係が蓄積していたからに思える.
特に表立った理由は無いようにも思える.(あるのかもしれない.わざと見つけていないだけかも)
それでもニコニコ笑っている.そっちの方が楽だからだ.
心が疲れている時は,一人になった時にとても苦しくなるからわかる.
そのままにしておくと,どんどん苦しくなってしまうから,身体から心を分離させることをする.
これ,分かる人いないかな?
本当に辛い時は,身体の中に入れておくとどんどん不純物が溜まっていって,取り返しがつかないことになってしまう.
だから,一旦身体から心を切り離す.
そうすることで,悪い考えや感情を心に蓄積しないで,時間をかけてゆっくり浄化する作業にうつる.
ただ,その時は感情が顔にほとんど出ないことが問題で,鏡で見た自分の顔が感情なさすぎて笑えることがある.あれはもはやロボットだね.
時間をかけて,自分がストレスを感じない状況にいることができれば自然と立ち直れてきたりする.
そうするとちゃんとテレビのお笑いとかでちゃんと笑えるし,笑えたことで気づかないうちに心が元に戻っていることに気付く.
いつもより極端に早く湯船に浸かって,しっかり身体を休めれば,回復している.
こうやって,少しずつ心がどんくさくなっているんだなと思う.
感情の表現が日ごとに厳しくなっている.
感情のままに生きれればどれだけ素晴らしいことなんだろうと思うが,感情を押し殺して同調するのが大人なんだとか.
どうなってるんだこの世界.
ほぼ日手帳使ってみた感想とカバー購入
どうも,じょぶずです.
みなさんは毎年購入するお気に入りの手帳ってありますか?
僕は毎年変わっていました.(し,手帳付ける習慣もあまり根付かなかった...)
で,色々記事を見ていて面白くて使えそうな手帳を発見したので,購入してみました.
それは,ほぼ日手帳です.
ほぼ日手帳買ってみた
LOFTとかで手帳コーナーに売ってますよね.ただ,僕は月曜始まりではなく日曜始まりが好きなのですが,それは店頭では販売していなくてネット通販のみだったので,公式サイトで購入しました.
このほぼ日手帳,Googleなどで調べてみるとわかるんですが,検索ワードに「ほぼ日手帳」と打ち込むと,「使い方」「おすすめ」とか出てくるんですよ,謎ですよね.
ただ,なぜこういったワードが出てくるのかも後に書きます.
届いた
まず第一印象,めっちゃかわいい.なにこれ,箱から可愛い.
住所書いてある紙が滅茶苦茶粘着力強くて汚く取れてしまいましたが,色もめちゃいいです.
開くと言葉が出てくる.宝箱みたい.
ピンとあってないのすみません.このワクワク感ってほんとに最近少なくないですか?めちゃワクワクする.
これも開くとセットで入ってきた物たちが,
なにこれ.このワクワク感.犬かわいい(猫派)
まず上から,しおり
アプリの紹介でした.
そして,次はこれ
”バタートーストの小さいお皿”とuniの多色”ボールペン”でした.正直現在も使ってないけど,嬉しさはある.
そして最後はこれ.
はい,ほぼ日手帳.文庫本サイズなので持ち運びも非常にし易いです.
可愛い色合いですよね.
全体の感想としては,チョコボールのおもちゃのカンヅメ的な感じ.ワクワク感がすごい.日頃のちょっとした幸福を感じれる良い奴です.
ほぼ日手帳の使い方
これね.最初これ買うか考えてた時,調べたら必ず出て来る項目.意味わからないよね.
ただ,絶対出てくるんですよ.何故かわかりますか?
それは,普通の手帳じゃないからです.いや,普通の手帳なんですけど,ちょっと違う.そこが良い,って感じ.
一見普通の手帳なんですけど,後ろの方に1ページ1日のページがあるんです.これが違う.
普通の手帳だったら後ろの方に,一日の時間軸みたいなのが書いてあったりするじゃないですか.僕思うんですけど,あれってめちゃくちゃ細かいから書く気しないんですよね.だから手帳買ってもあそこは全く手付かずでもったいないなって.あとは,謎の電車の路線図とか.別冊で閉じてあったりでかさばるし個人的に好きくなかった.
ただ,ほぼ日手帳はそういうのほとんど取っ払って,丸まんま1ページその日に当てることが出来る.
自由なんですよね.
だから,普段普通の手帳使ってる人からすると何書けばよいかわからないから調べちゃうのかなって思うんです.
そこがおもしろいところで,個性が出るんです,この手帳には.
だから,例えばその日の出来事を日記にして書けば良いし,心に残った言葉を書けば良いし,ポエム書けば良いし...
決まりが無いから面白い.
僕の場合は,日記とTo doリストと映画の半券貼ってます.
これ,例えば5年後とか見返した時,その頃の記憶が色濃く思い出せると思うんですよ.それってすごく大事で,生きてる感すごい出るじゃないですか.普通に生活していても,時間をかけて生きているっていう実感って持ちにくいです.自分がこれだけ考えて毎日必死に生きているってわかったら最高じゃないですか.次の日も楽しく生きようってなります.だから,絵が得意な人はその日のことを絵で1ページ書けば良いんです.
自由を求めるのに,自由になれないそんな人におすすめ.
これもやっていいじゃん.これもいいじゃん,これも書こうあれも書こう...としているうちに気づいたら自分辞典になってますよ.きっと.
大学生の人は,就活とかで軸とかをみつけるのに役に立つかもしれないですね.
ちなみにちょっと古い記事だけど,小説家の西尾維新さんはこう使ってるそうです.すごい.
カバーどうする?問題
さて,ほぼ日手帳買ってみたって方が次に当たる壁がこれ.カバーどうするの.
せっかく中身が自分のオリジナルなのに,外見はみんな一緒なの?って思いませんか.
結構な人がカバーにも個性を出してるみたいで,手作りとかしてる人も多いみたいです.
例えばこの記事.
これは世界に一つしか無い自分だけの日記帳ができますね.でもここまでしなくても個性は十分出せることに気づいたんです.
何故かと言うと,ほぼ日手帳が文庫本サイズだからです.
文庫本と同じサイズだから,普通に昔からある文庫本のカバーを使えばよいのです.ほぼ日手帳専用のカバーを探そうと思うとそう色々は無いですが,文庫本のカバーならあるじゃないですか.これを利用しない意味がない.
ということで,今日までそのまま使っていたほぼ日手帳ですが,カバーデビューしました.
SIWA
これです.これの特徴は,和紙で出来ているとこです.紙なんです.
そして,紙なのに水にめっぽう強くて破けない.10kgまでの重みに耐える.そして軽くてオシャレ.
僕は和風なものが結構好きなので,この商品を知ったときから買おうと思ってました.
よく見たら深澤直人と共作なんですね.知らなかった.
これは元々文庫本カバーなんですが,敢えてほぼ日手帳のカバーとして使ってみようと思ってます.
本当に軽い.そして和紙ベースだから手触りが良い.店に置いてあった使用見本だと,5年使ってもまだまだ使える感じでした.
革みたく経年変化するので,飽きずに楽しめそうです.嬉しい.
まとめ
自由に遊びながら記録していくほぼ日手帳,皆さんも使ってみてはどうでしょうか.
カバーは文庫本カバーでオリジナリティを.
もう社会人か
ふと,もうすぐ4月になるということで色々考える場面があった.今までは学生という身分である程度自由に自分のしたいことをしてきた.それが,この4月から定年退職するまで,同じ仕事を続けることになるのだ(転職とかは無しで).今20うん年生きてきたけど,この先40年を超える時間を同じことを繰り返していくのかと思うと怖さしか無い.仕事が自分の本当にやりたいことだったら,続けることが出来るのかもしれないけど,他にやりたいことがある時,どうなんだろう.僕はたまたま音楽を自分のやりたいことを見出して今を生きているけど,それだけでやっていけるほど世間は甘くは無いと思うし,だから就職するんだけど.もちろん就職先に希望はある.やりたいこともある.けれど,本当にやりたいことは音楽なんだ.それには嘘はつけない.
生きるってなんだろうってよくみんな言うけど本当にそうで,結局限りある生命を燃やして何かを残したとして,それで何になるんだろうって思う.富か,名声か,それを得て死んだところで最終的には地球すら破滅して,人がいた記憶すらなくなるんだから.まてまて,いよいよ僕らが生きている意味がわからなくなるぞ.
結局生きている時にやりたいことをやった人が一番幸せで,生まれてきた瞬間から自分のために生きることが,生まれた意味なのかなって思ったりして.だって死んだらすべてなくなるのだから.例えば家族を作ったりして犯罪を犯したら,自分が死んでしまってもその罪が家族の生活を苦しめるから論外だけど,そうでなければある程度のことはやるべきな気がする.
なんで生まれてきたっていうことに関しては,親の家族が欲しい願望だろうって思うけど,生まれたからには(自我を持ったからには)何かしないとなって思うよ.何が出来るのかはわからないけど.親にとっては子が幸せに暮らすことが一番の幸せなんだろうけど,じゃあ自分の幸せってなんですか.このまま死ぬまで金を稼いで終わりって何なんだろうって正直思うよ.生きて死ぬってどういうことなの.教えて誰かーー
本当に生きている間に一発なにかすごいことをして人,例えば野球選手とかは,今死んでもあと100年くらいは多くの人の記憶に残ってられる.
あ,今思ったけど,そしたら動物が生きている意味ってなんだろうって考えたら,そういうものだからとしか言えないことと同義なのではないだろうか.鹿がなぜ生まれて,すぐに食べられる天敵から逃げるためにすぐに立たなきゃいけなくて,動物園に連れ去られたりライオンに食べられたり餓死したりするのかって考えても,そういうものだからでかたがつくなって思う.きっとそれと人間も同じだ.生まれたから理由もわからずただ生きる.ちょっと他の生物より賢いから文明を作って記録できるものを作ってしまったからしているだけ.繰り返す.
じゃあ自分はどうなりたいのか?多くの人に記憶されれば良いのか.記憶されなければ生きている価値が無いのか.そんなこと無いなって思えてきた.記憶されない人なんて世界中にありとあらゆる数いるわけで,でもその人が接した人には何らかの影響を残している.それが伝播している.それで良いんじゃないかって思う.記憶されなくても精一杯生きれていれば良いのか.死ぬのが当たり前の世界だから,その中で自分ができる最大限をすることが一番人間らしいのかな.なるほど.
今現在の自分の状況は自分の最大限だから,これから先も自分のやりたいことに対して全力でぶつかっていく必要があるね.とりあえず仕事とバンドの両立を頑張ろう.
目の前の問題を解決して,何もやることが無くなったらまた悩めばいいや.うむ.