時計の秒針音

少しずつコツコツ意味を貯めてく

許さないという選択

機嫌が悪い人の近くにはいたくない.

機嫌というのは,確かにその時の体調や具合にかなり左右されるが,大人であればある程度は機嫌は自分で取る必要があると思うし,人に当たり散らすなんて以ての外だ.

 

これは僕の経験からだが,人によっては,目上の人に対しては徹底した意識の刷り込みによって絶対に逆らわない従順な人がいる.そういう人は,目上の人からはとても印象がよく,機嫌の悪さを見せない.

ただし,そういう人は,その機嫌は目下(だと思っている人)に対して当ててくる場合がある.例えば普通の質問をした際に「それくらいわかるでしょ.何言ってんの」といったふうに,なんの前触れもなくかなり強い口調で当たってくる.目上の人からは信頼を勝ち得ているので,下(と思っている人)に対してのあたり口調に注意はない.だが,下(と思っている人)にとっては,その人の普段の機嫌に左右され質問等がしづらくなり,結果全てがやりずらくなるといったデメリットにつながる.

機嫌の良い時と悪い時の差があると,「今がその人にとって機嫌の良い時なのか,悪い時なのか」を常に意識して行動しなければならず,心が疲弊してしまう.

自分の機嫌を自分で取れない人が多すぎる.

 

僕もなんの前触れもなく,急にあたり口調で責められとても嫌な気分になることが多々ある.ただ,その後(謝るわけでもないが)普通の感じで接せられると,つい(仕方ないな)と思い許してしまう事があった.

ただしその許しは,わけもなく自分を傷つけたその人を認め,「傷つけてよかった,正当性がある」といった意味になってしまう.

なので,僕は「許さない」という選択をした.それは面と向かって態度に出すわけではなく,頭の片隅に自分が傷つけられて嫌な気持ちになった,という事実を残しておくということだ.

「許さない」ことは「許す」ことより圧倒的に大変で,「仕方ないから許す」「めんどくさくなってきたから許す」といったように逃げてしまうこともあるかもしれない.しかしそれは,大切な自分を蔑ろにすることに繋がってしまう.

自分を守るためにも,その人が自分にしてきたことを「許さず」,しっかりと蓄積することが必要なんじゃないだろうか.

その選択が更に自分の人間性を濃くするような気がしている.

 

だからとりあえずはその方針で生きてみようと思う.