時計の秒針音

少しずつコツコツ意味を貯めてく

常識なんて言葉に惑わされるな

よく”常識”という言葉を耳にする.僕はこの言葉が嫌いだ.

常識は,非常に使いやすく,そして相手を簡単に納得させる非常に良くない言葉だと思っている.「お前こんなの常識だろ」と言われたら,知らない人が悪となってしまうからだ.これはおかしい.

確かに義務教育(つまり中学校)までに習ったことを知らないのであれば,それは常識を知らない人間と言わざるを得ないだろう(例えば,足し算引き算や,掛け算割り算,日本地理など).

しかし,そこを超えた地点にある知識を知らないことを,「常識無いな」という言葉で一蹴するのはおかしさを感じる.

常識とは,にある知,と書く.その事柄が,当たり前の知識だと考え常識だということは,他人に価値観を押し付けることと同義である.価値観の違う人間に「こんなことも知らないとか常識無い人だな」というのは,大変差別的であるように思える.

「これがこの世界の常識なんだよ」

知るか.あほ.

では,その常識とやらをしっかりと説明できますか?

「なぜ常識なの?」に対する答えが「そんなの常識なんだからに決まってるじゃん」というのは全く答えになっていない.常識というくらいならば,教科書に載っている,であったり,学校で教わっている,であったり何かしらの裏付けがないといけないはずではないか.

頭ごなしに「常識,常識」というばかりでなく,納得させることが出来なければだめだ.言われたことを,はいはいと頷いて頭で考えずに受け取るのは頭が悪い.もしかしたらその常識は間違っているかもしれないではないか.

常識って誰が決めたんですか.神さまですか.

「これって常識だろ?」

「(え?知らなかった...)あ,常識ですよねー」

この世の終わり.

相手の立場で考えよう

常識という言葉を使うときは,しっかりと考えてほしい.

それが本当に常識なのか,自分の周りだけなのではないか.押し付けではないか.

知らないことは悪いことではない.知ろうとしないことが罪なのだ.

知らないことを馬鹿にするのもおかしい.知らない人には知っている人が理屈から教えてあげればいいのだ.そうすることで,「知らない」から「わからない」に変わる.

「わからない」で初めて人は脳みその優劣を判断される.例えば仕事での能力として差を付けることはできるだろう.それがその人の頭の良さなのではないだろうか.

 「知らないの?馬鹿だなー」ではなく,「わからないの?馬鹿だなー」であるべきだ.

そして,分かる人がわからない人に教えれば良い.

常識なんて言葉の殆どは,社会に溶け込んでいる悪しき慣習の1つである.

常識なんて言葉に惑わされるな.

それは誰かが決めたルールかもしれない.

それを見極めて自分が納得する道を進んでいかなければならない.

大変だ,人生は.