時計の秒針音

少しずつコツコツ意味を貯めてく

唐突に襲ってくるよくわからない不安について

突然,原因不明のよくわからない不安に襲われることがある.これはすぐに対処することは難しく,結構な時間を経ないと立ち直れない.

大体の場合は,人を羨んだり恨んだり,自分を蔑んだり,気力がわかずにベッドで寝ていたりする.そんな自分も嫌になって悪循環である.

 

僕ら日本人は,生まれてきて4歳で幼稚園に入園し,6歳で小学校,13歳で中学校,16歳で高校,18歳で大学,といったように,階段を登るように歳を取っていく.

幼稚園のころ,好きなことをして,好きな物を作って,好きなことを知った.やったこと全てが褒められて,生きていることが素敵だった.

それが,小学校に行くことで,好きなことをすることは制限され,世間にある制約(ルール)に基づいて行動するようになる.

先生は「あれはダメ,これはダメ,それは正しい,それは間違い」といった風に,ルールを教えこんでいき,正しいルールに則った行動をすると褒めてくれる.正しいルールから外れた行動をとっている人は,弾かれていく.こうすることで,子どもたちは世間に触れ,世間に融けていく.ここで,子どもたちは,「世間に融けることができた人」と「世間に融けることができなかった人」に分かれていく.

世間に融けることができた人は,自分の行動が正しいとわかり,自分の価値観が形成されていく.喧嘩は,価値観のぶつかり合いである.ぶつかることで,お互いの尖った価値観を削っていき滑らかにする行為である.滑らかになった価値観は世間では”利口”と呼ばれるようになる.このように,世間に融けることができた人は,いわゆるまともに育っていく.

中学生になると,昔なら選択できたはずの進路が,もう既に高校進学一択になっている.しかし,殆どの人がこのことに疑問を持たない.教師や親のいうことをそのままに”高校に進学すること”が当たり前になっている.”なぜ高校に進学するのか”が言えない10代がものすごく多い.というより,”進学しなければ将来が不幸なものになる”という暗示から,勝手に選んでいる方が正しいだろうか.進学塾が多いのも,高校に行くことが当たり前になっているからだろう.現実問題として,塾に通う大多数の生徒は,”面倒くさい”や”辞めたい””帰りたい”などと言っている.これらは彼らのせいではなく,勉強の意義を教えない親のせいである.親のエゴにより,世間体を守るために自分の息子・娘にとりあえず塾に通わせるのだ.勉強にも向き不向きがある.勉強は苦手でも絵はものすごく得意かもしれない.実は歌うことはとても上手かもしれない.親は,子の”本当に大好きで得意なもの”を探してやることが必要であると考える.

高校生になり,義務教育も終了し,大学進学か就職,専門学校に通うなどの選択肢が選べるようになった.本当にやりたいことが見つかっても,結局大学などには通うのである.こうして大人になり,”これは仕方ないんだ”と訳の分からない妥協をし,自分が好きなことを諦め,誰かが昔に敷いたレールの上をただ歩くだけの人間になってしまう.

僕は大学生になるまで,上記の人生を生きてきたと思う.もちろん僕の両親は,好きなことをやらせてくれる非常にありがたい親だったので,様々な可能性を取捨選択することで音楽に巡りあうことができたし,感謝の言葉しかない.

バンド活動を行っていくうえで,様々な人達と出会った.多くが高校卒業から直接フリーターになって音楽を続ける人だった.これは僕の中では衝撃だった.その行為は,自分の人生を自分で掴みとっているのであった.僕には出来なかったことだ.

 

”世間に融けることが出来なかった人”は,世間が敷いたレールに乗ることが出来ない.なので,自分でレールを敷いていかなければならない.それは,本当に大変なことで,ものすごく不安なことだろう.ただ,それでも”自分が切り開いている”という事実は彼らを強くしていることは間違いない.そういう人たちにしか気付けないことがあるし,伝えたい事がある.そういう言葉は魂がこもっている.”芯がある”ということだ.

 

この唐突に襲ってくる不安の正体は,「自分を自分でコントロールできていない」不安なのだ.自分で選択していかないと,自分が世間に取り込まれてしまう.自分の手の届かないところに行ってしまうのではないか,そんな不安なのだ.この不安のたびに,僕は何をしているのか,なぜ僕はギターを弾いているのか,なぜ僕は詩を書いているのか,と自問自答する.そういう時はなんにも手に付かない.

 

付けなくていいのだ.

 

自分の中の確固たる意志で立ち上がり,決めれば良い.選択肢は一つではない.正解なんて誰が決めるわけでもなく,”自分が今幸せであること”が正しいなのだ

きっと,この記事を読んでいる人は,今不安になっている人だろう.でも心配することはない.皆そのことで悩んでいる.悩んでいるが口に出せず,ぐちゃぐちゃと脳裏を汚染していっているのだ.あなただけではなく,僕も不安である.どうしようもない不安は,身体を動かせなくするけれど,それも仕方がないことなのだ.受け入れよう.

「自分で選択して生きる」ということは,本当に大変なことだけれど,それをしないと,自分が自分をコントロールしていないように錯覚してしまう.だから,選択するのだ.

今,不安になっている人は,何か一つ選択して動いてみよう.例えば,「あいさつをちゃんとする」とかでもいいのだ.「感謝を伝える」でもいい.「仕事をやめる」でもいい.

そうやって,世間から自分を取り戻すことで,その不安は解消していくだろう.