ミュウツーの逆襲 EVOLUTION,Evolutionする必要ないでしょ
縁あって試写会を観ることができたんだけれど,駄作&蛇足だった.
↑原作への感想
試写会は,小林幸子さんの生歌をの「風といっしょに」を聞けた.今回は小林幸子さんとしょこたんが二人でデュエットした楽曲になっていたが,しょこたんも上手いんだけれど,小林幸子さんが圧倒的にうまくて,本当に上手い(語彙力)
演歌歌手ってやっぱり歌上手いんだなって思った.
CD買っちゃおうかなって思うくらい,演歌の.
ここからが本題だけれど,Evolutionする必要なかった.
不必要だった.
何がEvolutionだったのかというと,2次元アニメだったミュウツーの逆襲を3DCGにしてみた,っていう映画です.単刀直入に,技術お披露目会でした.
物語は導入にロケット団のサカキの具体的な介入とミュウツーの存在を前作より具体的に描いたくらいで,ほぼ原作の通り.
ピカチュウは名探偵ピカチュウの毛むくじゃらではなく,普通に3Dになっただけだったので可愛かったけれど,人がまず気持ち悪い.みんなトイ・ストーリーのキャラみたくなっていた.サトシが特に気持ち悪くて,最後まで違和感しかなかった.
サトシがミュウツーとミュウの技を両方受けて石になるシーンで,原作だと重々しい石になってしまったんだけれど,Evolutionはツヤッツヤの素材の鉄みたいなものになっていた.しかもピカチュウが「ピカピー」ってサトシを呼ぶシーンでそのツヤッツヤのサトシ普通に揺れてるし.もっと重いものじゃないの?軽いのサトシって.
そして,ピカチュウを始めとするポケモンたちの涙がサトシに集まるシーン.原作だとあまり気にならなかったが(というよりアニメのご都合主義なのでよくあることだという認識),Evolutionでは涙がなぜ滴らなく,そのまま目から直接飛び出てサトシに向かっていったのか謎だった.ギャラドスとか表情が全く変わらないまま目から水がめちゃめちゃに飛び出てサトシに向かっていったのが本当に謎だった.
もう少し表情豊かだった気がする.
3Dになったせいで,若干のリアリティを無意識に求めていたせいで,そういった出来事に対して違和感を感じたんじゃないかという考察をしている.
重力を感じたかったな.
涙が目から直接飛び出てサトシに向かうシーン,映画作成中誰も違和感を感じなかったのかな.あれは本当に不思議な時間で,感動シーンであるのに笑いがこみ上げてくるという,なんともおかしな話である.
また,ニャースとニャースのクローンが「お月様が綺麗だにゃー」と会話するところがあるけれど,あれ今の子供達が観ても,唐突すぎてよくわからないでしょと思った.
その当時はニャースがまんまるお月さまの歌がエンディングテーマになっていたからその話だなとわかるけれど,それを知らない小さな子たちは「???」となると思う.
中途半端に子供向けにしたのが良くなかった気もする.
もう完全に大人向け(その当時の子供向け)にすればいくらかもう少し深みのある作り方ができたのかな.
監督,この映画で「ピカピーのシーンで何回も泣いた」(うろ覚え)とツイートしていたけれど,それって原作見てもきっと泣くよね.
3Dになってよかったことってなんなんだろう.なにもなかったように僕は感じる.
ミュウツーの声が,初期と同じだったからかなり期待したけれど,期待はずれだった.
うかつに3Dにするものではない,という知見を得られたのだった.
僕たちはもう帰りたい
今こうして文章を家で書いているときでさえ,起きて行かなければならない仕事を思い出し,全力で帰りたいと思っている.
みなさんはどうだろう.
さわぐちけいすけさんが作者ということと,表題に惹かれ読んでみた.
さわぐち けいすけ (@tricolorebicol1) | Twitter
ものの30分くらいで読める軽い内容の漫画だった.
普段のゆるい感じの雰囲気で,ノンストレスで一気に読むことができた.多分共感できる人が多いと思う内容で,僕は「職場で未だにFAXを使用していること,ミスが有った際にダブルチェックをしなければならなくなること」に対して,「あ,これって先進的な企業だと普通じゃないんだ」と気づくことができた.
今後こういった業務については積極的に廃止するよううまく立ち回ろうと思う.
たしかに,家ではFAXになんて全く使わない.
お金かかるからネットの地盤がカッスい企業って意外と多いんじゃなかろうか.
僕の会社はWi-Fi通ってないし,メモリ4GB(もともと2GBだった)のパソコン使ってるし,使用しているシステムはゴミみたいだし(データベースをちょっと弄っただけみたいなやつ),なんかもう絶望していたけど,その中で効率をあげようと奔走している.なんかバカみたいだなと感じた.まあそれでもやっていくしか無いけれど.
一個の検索するのに15秒くらいかかるとか正気の沙汰じゃないし,旧石器時代にいるのかな?
仕事以外にも,旦那さんとのすれ違いで家に帰りたくない奥さんの話を,「あ〜わかるわかる,そうだよね」ってクスリと笑いながら頷いて読める本になってました.普通にとてもおもしろかったです.
若い世代の社会人の人とか,「私,定時で帰ります」が好き人とか,刺激うけるんじゃないかな.
僕は定時で帰りたいマン.
だって音楽メインで生活しているから.
最近はものっすごく忙しくて家帰ってきたら脳みそのキャパシティ超えていてほとんど活動できないけれど.
今日は軽く20時から2時間位夜寝して元気が出たのでSNSとかメールの返信とかやっちゃう.
話が反れたけれど面白かったので,興味がある方は読んでみてください.
眠るのが嫌い
眠るのが嫌いだ.
仕事をしている時間は自分のやりたいことができないから,帰ってきてからしたいことをするしかない.
ただ,疲れ切っているから朝やろうと思ったことの9割はできなくて,YouTubeを見たりアプリゲームすることくらいしかできない.(ただこれは僕にとって心の疲労を回復する一つの方法でもある.人生においてはかなり無駄な時間であるという認識もある)
無駄な時間という認識があるから,頭の中では罪悪感でいっぱいになりながら,肉体的にも精神的にも疲れ切っており,やりたいこと/やらなければいけないこと,まで手が回らない.
人生を80歳までと考えたら,僕は今25歳だから,あと55年しか生きられない.
そのうち,創作活動ができるのはあと20年もないかもしれない,
今しかできない.
YouTube等横になって何も考えずにすごす時間により心と身体を一時的に回復させる.それで大体深夜1時を廻る.その後風呂に入ったりすると2時や3時を廻ってくる.
次の日も就労なので朝はわりと早いが,「やらないといけないこと/やりたいこと」が全く終わっていないこと,休んだことで仮初めにも少し元気が出てきたことで,眠る時間が惜しくなる.
できれば,気絶のように眠りたい.
睡眠がただの娯楽であるならば,僕には不必要なものなのだけれど,どうしても体力回復のために必要であるから,どうしようもない.
(睡眠時間が減ってくると,精神的に変になることも否定できない)
先にも書いたが,死ぬまで・創作できなくなるまで時間がほんとにない.
テレビゲームもめっきりしなくなったし,ドラマはリアルタイムでは見ないで,録画して2倍速で観るようになった.
できる限りインプットには時間をかけたくなく,なるべく短い時間で大量のものを摂取したい.
YouTubeは早送りが2タップでできるようになったからありがたい.
音楽は,Bluetoothイヤホンを買ってから,通勤中に大量に無差別に聞けるようになったから,インプット量がものすごいので最近は充実している.
本は集中して読まないと行けないから,敬遠しがちである.
映画は家で観るなら倍速だ.(映画館で観るときは,しっかり世界に入り込むため時間とかは全く気にしない)
ーーー
もうこんな時間で7時には起床しないといけないのだけれど,本を読んだりギターを弾いたり(これは物理的に無理だが),音楽を聞いたり,詩を書いたり,漫画を読んだり,まどマギを見返したり,絵を描いたりしたい.
でも寝ないと死ぬからどうしようもない.
眠るのが嫌い.もったいない気がしてしまう.あーあ.
眠るか,仕方ない.
(起きるときは寝覚めは最悪で,もう少し早く寝ておけばよかったとなるのは言うまでもない)
※かなり脱線するが,macの変換が以前よりアホになった気がする.「詩を書く」という分をタイプしていきなり出てくるのが,師を書くってなんやねん.
誰もが正義マンになりたかった
じょぶずです.
みんな,正義マンになりたかった.
でもずっと正しいことをすることは辛いし,理不尽なことで傷つけられてばかりだ.正しくないことがまかり通る日本である.
※なぜか,同じ題名で2記事書いていた.
ーーー
最近とても気になって,違和感を感じているのが,「自分のイライラを他人の間違い・過ちを指摘することで発散する」人々である.
自分のイライラをなにかに発散したくて,でも無意味に発散することはできないから,間違ってしまった人,過ってしまった人を必要以上にボロクソに言う人がいる.
間違ってしまった人に対して,正そうとすることは悪いことではない(できるかどうかは別として).注意された側は,自分が間違っていたことはわかっているから,何も言い返すことができない.
それを良いことに,必要以上にまくしたて注意する人に違和感(というか嫌悪)を感じるのだ.
言う側は「相手は間違っている.自分は正しいことを言っている.だから相手はなんと言われようと仕方ない」といったようなことを思っているのではないだろうか.怒鳴り散らすことを,「相手を正す」という名目でしているのだからタチが悪い.
怒鳴られることは,誰であっても気分が落ち込むし,嫌な気持ちになる.
イライラに正義の理論武装をすると,間違った人を殴ることができるし,パッと見は間違ってないように見える.それこそが問題で,間違いを指摘するようにみせかけて,その人が行っているのはイライラをぶつけるということだ,そしてそれに気づける人が少ない.
正しいことをしている錯覚に陥って,泥沼にハマってしまうなんて情けないなと思う.
ーーー
正義を執行することは心地の良いことが多い.誰もが悪者をやっつける正義マンになりたかった.だが,正義の殻を被った私怨を悪者にぶつけて良い気持ちになるのは間違っている.それは正義ではない.
「あなたがしていることは,正義ではないよ.」と伝えてあげたい.
それはただの暴力だよ.
暴力を正当化するな.
それは卑怯者がすることだ.
正義の武装をした全く関係のないイライラのはけ口として人を傷つける人を,僕は心底嫌う.
だから,僕の好きな人達は,僕に嫌いにさせないで,と常日頃思っている.
25歳になった
じょぶずです.
25歳になりました.
ねねちゃんがツイッターで公式も動かしてくれて,いろんな人からコメントいただけて,なんかすごい嬉しいです.
ありがとうございます.
ブログというツールがあるので,ことばをきちんと様々な人に伝えることができるので,とても良い時代になったと思います.
僕はずっと邦楽というものに触れていなく,ずっとピアノを弾いていました.そもそも音楽自体にそんなに興味はなかったように今は思います.ただ,小学1年生の時の「今月の歌」でポルノグラフティのアゲハ蝶が選ばれて,初めてそういう音楽あるんだなって知ったような気がします.それからはずっとその歌を歌っていた.
それ以来また,ちゃんと理解せずに中学生にあがり(この頃は外部チームでサッカーをしていたりしていた.が,そんなにうまくなく,上手い人たちの合間でフラフラと生きていたように思う.小学生の頃はループとシュートの違いが理解できず,ただ闇雲に思い切りボールを蹴っていた.中学に上がった段階で慣れていたミッドから何故かセンターバックにされ,さらに意味がわからなくなり,スタメンから外されるなど結構散々だった.引退間近になって,監督が代わり,僕をセンターバックからフォワードに抜擢してくれてスタメン起用してくれたときは,一生この人には頭上がらないと思った.と同時に,やっぱり保守的ではないな,性格的にと実感した)
中学校2年生の時に,BUMP OF CHICKENの曲を教えてもらい,初めてorbital periodを借りて,聞いた.どれもしっくり来なかったけれど,flybyがやけに耳に残ったな,そういえば.
母親とラーメン屋に昼を食べに行った時に,あの短い曲をずっと聞いていた.BUMPを聞いていた僕,ちょっと格好良いんじゃない?とかおもっていたりした.
ラフメイカーに出会って,物語のような歌があることをしり,MAD(であっているのかはわからない)でいろんな人がそれぞれに曲に合うイラストや漫画を書いていて,とても良いなと思っていた.
そういう音楽を作りたいと思ったし,BUMP OF CHICKENのメンバーが中学校の同級生でそのまま今も活動しているというのに憧れて,いつかはバンドを組みたいと思っていた.
ギターを買うきっかけになったのは,中学生の時の同級生がギターで洋楽(のブラック・サバス,クイーンを筆頭にMEGADETHやIRON MAIDEN系をめちゃくちゃ聞く人で,そういった方面のコピバンをしていた.そのうち自分で歌詞を書きたくなり,高校の時にノクターンが出来上がる)をコピーしていて,ノリでギターを始めた.
親に誕生日プレゼントでアイバニーズの入門セットを買ってもらった.ちょうど10年前?
(10年前!?やばいな!!)
高校生になり,高校の同級生に声をかけ,ノクターンを結成したが,色々ありうまく行かず,メンバーは入脱退を繰り返し,結局はネットで募集をかけた人たちのほうがうまくいくという現実が残った.
ねねちゃんもメン募サイトで知り合って,すぐできた曲がtwilight
ここから,ノクターンの進むべき音楽が確立したように思う.
24歳,僕は社会人2年目でバンドで音楽をしながら仕事中は社会の歯車になりながら,必死に生きていたな.
最近やっとたくさんの人と知り合って,ノクターンの音楽を好きだと言ってくれる人たちと出会って,尊敬できる先輩たちができて,今とても幸せに感じています.
ーーー
幸せだからと言って辛いことがないわけではない.
幸せと辛さというのは交わることがないので,並行に存在します.
幸せを感じながら,別の面で辛さを感じるタイミングはとても多く,辛さを幸せで上書きすることなんてできない.
それを認識していない人が多すぎる.
余談だけれど.
ーーー
24歳,ツアーをして,MVを出して,アルバムを出して,サーキットフェスにも出て,まだまだ.まだまだまだまだ,やりたいことがある.
令和になって,25歳になった.
たくさん音楽を聞くようになった.
きっともっとたくさん傷つくだろう.
良いことと悪いことを両方共受け入れて咀嚼し,すべて音楽として出力していきたい.
僕がこれから生きていくことで,誰かの何かが変わってくれればよいな.
それがバタフライ・エフェクトとして,音楽業界が変われば良いな.
それによって日本が変われば良いな.
そう思う.
僕にはそれをするだけの力があると思うし,ノクターンにはそれを現実にする力がある.
大躍進するぞ.
えいえいおー
25になりました。
— じょぶず ノクターン (@hi_nocturne) 2019年5月31日
おはようございます、
人生の折り返し地点に差し掛かっていますが、まだまだ良い作品を作りたいので、しっかり生きていきます。
24はみんなに救われた1年だったな。きっと25もみんなに救われるんだろうか、少しはお返しがしたいな。
p.s.
誕生日プレゼント待ってます.
MVというもの
先日,かねてから本当にお世話になっている方に依頼していたMVを公開した.
曲名は「haise」という.
僕は映像に関して,専門的な知識がまったくない.
雰囲気とか,こういう気持ち,とかそういうことでしか伝えることができない.
なので詩を読んで,解釈して,映像にする,という仕事はとてもすごいことだと思う.
(仕事と表現したのは,金銭のやり取りが当然あるからだ.)
ありがたいことだ.
ーーー
公開して皆さんの目に触れるのは,3分10秒.
それ以前に,僕が音楽と詩を描いていた時間.
ねねちゃんがドラムフレーズを考えた時間.
濃縮還元ジュースのようだ.
露骨だね.
(よく考えたら,今手にしているものすべて,誰かが積み上げてきた時間の上に成り立っている)
ノクターンとしても,3分10秒という短い時間の曲は初めてで,
キャッチーでわかりやすく,しかし奥深く,
というものを目標に作った.
かなり習作のような立ち位置にあると思う.
ーーー
そもそも,時間の短い曲を僕が作れるのか,という疑問があった.
ーーー
下北沢近松,というライブハウスがある.
このライブハウスのイベントで,各日行われるライブでの選出バンドはサンプラーを作成していただけるというものがあり,ノクターンは見事選出された.
僕は選ばれたらMVにします,と公言していたんだけれど,精神がバグった時期に,一気にツイートを削除してしまって,みつからなかった.
(有言実行したから褒めてほしい)
選べれた段階でhaiseは一音たりとも出来上がっておらず,
その日以降から約2週間(くらいだったと思う,たしか)で作成した.
試作の段階でねねちゃんに音源を投げて,レコーディング前々日の段階でかなり変更を加えたものを
送ったから,本当に大変だったと思う.
頑張ったからたくさん,見てよ
でもYouTubeでMVを観るって結構コストかかるよね.
本当は生活の一部でながら観ることができれば一番なんだけれど.
そうも言えないね.
あーあ
haise
今日MVを公開した.
2ピースになって,2本目のMVだ.
無機質な感じがよく出ていると思う.
『haise』という言葉は造語だ.(造語というものを作ってみたかった)
前作は『私の聖域』というMVで,かなり有機的なMVになっている.
haiseに関しては,少なくとも2019年の5月中にMVを公開し大大的に発表する必要がある曲であった.
「悲しさ共有しようよ」
「正しいのは君の心,僕の言葉」※歌詞引用
ちゃんと正しいと思って生きてる?
自分のことしっかり見つめてる?嘘ついてない?
(嘘ついてるって気づいてる?)
ちゃんと見つめようよ,全部
それから次に行こうよ.
悲しいことは,みんなで共有していたいね.
今ノクターンはミニツアー中で,一週間後の5月18日(土)に下北沢MOSAiCで月花の旋律ツアーファイナル「白色の記憶」を行います.
slololis
kasa.
という3マンでやるのだけれど,チケット代がALL1,500円という値段設定.
(正直アホだった)
これで金がないって言われたら,もう僕らはどうしようもない.
(多分僕らのほうが金ない)
生の音楽感じて,絶対に損させないから.
最高の気分で土曜日帰って,余韻を日曜日感じながら優雅に過ごして月曜日から生きていこうよ.
そうしよう.
チケットは各バンド,公式ツイッター等でDMから受付中.