さて,誰の言葉に耳を貸そうか
(僕は夏に対して,特別な思い入れが無いことに気づいた.)
自信,という言葉がある.
「自信があるね」とか「自信に満ちている」という風に使う.
自(みずから)を信じる.
という言葉.
「自らを信じるがあるね」とか「自らを信じるに満ちている」という風に,単純に当てはめるとうまくいかない.
この言葉には「力」という言葉が隠されている.
自らを信じる力=自信
自信が無いということは,自らを信じる力が無いということだ.
自分を信じるということは,簡単そうに見えてとても大変で苦しいことだ.「普通」というよくわからないものを中心にこの世界は廻っていて,それに外れていないか常にビクビクしながら生きている.ただ,「一番普通でいること」=「自信がある」にはならない.「普通であるという自分を信じる力がある」ことの意味の無さがわかる.「普通」に自分を無理やり当てはめてしあっている時点で本来の自分を信じていない.
普通でいようとすること=自信がないこと,といえる.
自分自身をどれだけ見つめて,輪郭を認識できるかが,自信に繋がると思う.
誰に指を刺されても良いのだ,誰も僕を笑う権利なんて無い.
何を根拠に笑っているの?
服装が何と違うから笑っているの?
喋り方が聞いたこと無いから笑っているの?
見た目が違うから笑っているの?
髪型がまっすぐじゃないから,色が黒じゃないから笑っているの?
君が知らないだけじゃないか,笑うなんてとんでもない.君が生きているそのままが素敵なんだ.理解力のない馬鹿は放っておくのが良い.
誰も君を笑う権利なんて無い.
だから,君が君を笑うことは絶対にしてはいけない.
君だけは君を信じていなければいけない.
君が君を信じていれば,それはいずれ自信になる.君自身を信じる力を持って生きていこう.僕も.
さて,誰の言葉に耳を貸そうか.