誰もが正義マンになりたかった
じょぶずです.
みんな,正義マンになりたかった.
でもずっと正しいことをすることは辛いし,理不尽なことで傷つけられてばかりだ.正しくないことがまかり通る日本である.
※なぜか,同じ題名で2記事書いていた.
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最近とても気になって,違和感を感じているのが,「自分のイライラを他人の間違い・過ちを指摘することで発散する」人々である.
自分のイライラをなにかに発散したくて,でも無意味に発散することはできないから,間違ってしまった人,過ってしまった人を必要以上にボロクソに言う人がいる.
間違ってしまった人に対して,正そうとすることは悪いことではない(できるかどうかは別として).注意された側は,自分が間違っていたことはわかっているから,何も言い返すことができない.
それを良いことに,必要以上にまくしたて注意する人に違和感(というか嫌悪)を感じるのだ.
言う側は「相手は間違っている.自分は正しいことを言っている.だから相手はなんと言われようと仕方ない」といったようなことを思っているのではないだろうか.怒鳴り散らすことを,「相手を正す」という名目でしているのだからタチが悪い.
怒鳴られることは,誰であっても気分が落ち込むし,嫌な気持ちになる.
イライラに正義の理論武装をすると,間違った人を殴ることができるし,パッと見は間違ってないように見える.それこそが問題で,間違いを指摘するようにみせかけて,その人が行っているのはイライラをぶつけるということだ,そしてそれに気づける人が少ない.
正しいことをしている錯覚に陥って,泥沼にハマってしまうなんて情けないなと思う.
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正義を執行することは心地の良いことが多い.誰もが悪者をやっつける正義マンになりたかった.だが,正義の殻を被った私怨を悪者にぶつけて良い気持ちになるのは間違っている.それは正義ではない.
「あなたがしていることは,正義ではないよ.」と伝えてあげたい.
それはただの暴力だよ.
暴力を正当化するな.
それは卑怯者がすることだ.
正義の武装をした全く関係のないイライラのはけ口として人を傷つける人を,僕は心底嫌う.
だから,僕の好きな人達は,僕に嫌いにさせないで,と常日頃思っている.