自分の立ち位置
僕は最近,何か得体の知れないものに対して怒りを感じている.
理由は不明で,なんだかよくわからない不快感に襲われていて,人に当たるわけにも行かず,行き場のない不快感がずっと脳内を駆け巡っている.美味しいものを食べているときは忘れられる.
ノクターンの音楽の立ち位置をふと考えていた.
僕は高校生の時から,自分が作り出す音楽は間違いなく必要なものだと,なぜか思っていた(今も思っている)
「音楽をするのが楽しいから」「大きな音を出すのが楽しいから」「ギターが好きだから」「モテたいから」
ぱっと思いつくバンドをする理由.続けていった結果,人に求められるようになって,「誰かのため」とかって変わっていくのだろうけど,出発点はこのへんなんじゃないかな,大体の人は.
僕は,人の感情はとても美しいと思っている.泣くことも笑うことも怒ることも悲しむことも,全て美しい.
それを押し殺さないと行けない場所が,今の世界である.
僕もたくさんの感情を押し殺して,仮面を被って生きている.きっと,この文章を読んでいるあなたも仮面を被って生きていると思う.
ノクターンの音楽は鋭利な音楽だと思う.鋭利に鋭く尖ったような,そんな音楽.ただ,それは感情の純度をこれでもかというくらい高くし,硬めてできたものだ.僕が考えるメロディ,詩,ねねちゃんの歌うようなドラムフレーズ,これらは全部感情である.感情を固めたものだ.それを僕はライブ中に声というツールを使ってぶん投げている.
年齢を重ねるうちに,感情は袋のようなものに封じ込めてしまうようになった.それは,入れることはできるけれど出すことはとても難しい.
そこを純度の高い感情のような音楽で,すっと切り込みを入れる.そうすることで,溢れ出そうだった感情の袋はその切れ込みから湯水のように溢れ出てくる.
僕らの音楽は,そういう封じ込められた感情を吐き出させる力があるらしい.
だから,僕はこれから,ずっと,感情の純度を高めて,あなたの感情の袋に投げつけていく
思うように感じて,思うように笑って,泣いてしまえば良い,答えはない.
ノクターンのライブをみて,みんなが好き勝手,泣いて,笑っているなら,とても美しいんじゃないだろうか.そういう場所に,僕はなりたい.
あなたの感情の袋に切れ込みを.