時計の秒針音

少しずつコツコツ意味を貯めてく

ミュウツーの逆襲でふいに泣いてしまった

妹がポケモンの初代映画「ミュウツーの逆襲」を見ていて,ふらっとテレビを覗いた手前引き込まれてしまって,そのまま最後まで見てしまったんだけれど,

あれは時代を先取りしすぎていたなと,まず思った.

科学が発展し,iPS細胞などが出てきて,「生物(クローン)を作り出す」ということが現実になってきたのはここ最近の出来事なのに,この映画が公開されたのは1998年7月18日である.20年前だ...

 

この映画の主題は「自分というものの存在意義・自分を生み出した人間への復習」

劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲 - Wikipedia

 

小さな頃は,なんとなく不安で怖い印象があったけれど,今見たときは全く別の印象を受けた.多くの人が名作と言う理由がわかった.

ミュウツーの逆襲,逆襲の相手は,自分を作った人間に対してだと思っていたけれど,本当はオリジナルに対してだったのかな.オリジナルを殺すことでオリジナルになりたい,オリジナルは自分で作られたとは思っていないけれど.

 

本物になりたいミュウツーたち,作られたものは,本物を殺さないと本物になれないと思っている.

 

みんな,本物なのに,偽物だって思ってしまう,作られてしまったから

 

オリジナルは自然に生まれ,コピーは人工に作られた.

 

でも生きている以上,みんなオリジナルだ.

ミュウツーたちはそれを頭のどこかでわかっていながらも,”作られた”ということが劣等感として残ってしまい,どうにか自分の存在を認めさせようとする.

「我々コピーはオリジナルを超えるように作られている」

「本物は本物だ。技を使わず力で戦えば、本物はコピーに負けない。」

ミュウツーとミュウの会話だが,自分をコピーだと認識しているミュウツーの悲しさがあまりに辛い.そして相手を思いやることを全くしないミュウ.

 

ミュウツーはミュウに自分の存在を認めてほしかったんだろう.私も生きている,もとはあなただが今は別の存在としているんだよ,と.

 

オリジナルとコピーで戦うとき,コピーのピカチュウがサトシのピカチュウにビンタするシーンで,サトシのピカチュウは一回もやり返さず叩かれ続ける.コピーピカチュウは,叩きながら泣いてしまう所が苦しい.

本当はこんなことは無意味であるとわかっているのに,倒さないと自分がなくなってしまうという使命感が,あの行動を引き起こさせていたんではないかなと思った.

 

最期はミュウツーのエゴだったな.

 

記憶を消してあげたのは,優しさだ.

けれど,消したのはオリジナルだけで,コピーの記憶は残ったままだろう.

それは戒めなのか.

ミュウツーたちコピーと一緒に,ミュウはなんでついていったんだろう.

ただの興味本位なのか,それとも.

 

今この世界にオリジナルはどれだけいるんだろうか.

みんな誰かのコピーじゃないだろうか.

コピーだと知りながら,僕らはオリジナルのように振る舞っているのかな.

僕の言葉は誰かの受け売りで,バカにしてくる君は,きっと誰かに言われたんだろう.

僕は僕になりたい,僕でいたい.