時計の秒針音

少しずつコツコツ意味を貯めてく

逃げるという選択肢

先に書いておきますが,バンドとは全く関係ありません.

 

僕は社会人なので,職場という社会の中に取り巻かれています.

もちろん飲み会もあるわけです.

先輩2人に誘われて,飲み会に行きました.

2軒目でわりと2人の先輩が出来上がってきたら,徐々に僕に対して暴言を述べるようになってきました.

2人の先輩は僕に対して,「お前は無能だ.」「仕事ミスったら蹴り飛ばす」「仕事辞めたほうが良い」「お前はいらない人間だ」などを平気言ってくるのです.

「お前より新人の方が優秀だ」「この飲み会になんでお前がいるんだ,新人を呼べ」

 

お前が僕を呼んだんだろ,と.お前がミスしたのを僕が直したのを知らないだろ,と.

 

飲み会で少しお金を多く支払えば奢る相手には何を言ってもよいのか.

相手に対して,多少の尊敬は無いのか.

1人が暴言を吐いてきたとしても(ちなみに,暴言を吐く自体最悪),もう一人がカバーに入ってくれればほんの少しはマシだったかもしれない.もちろんそんなこともなく,2人係で僕をせめて立てる.本当に地獄だった.

 

親しき中にも礼儀はある,それをわきまえず自分が上の立場だからと一方的に罵ってくる人間が沢山いるのが現実です.

僕は,最初は「いやいや,そんなこと言わないでくださいよ」などとスルーしていたが,「いや,冗談じゃないから」と言ってきたので,耐えられなくなりました.

 

僕はお金をポケットから取り出し,テーブルにそっと置いて「もうしんどいので帰ります」と言って2人の先輩を置いて店を出ました.

1人で夜道を歩いていたのですが,途中から泣いていました.なぜ普通に生きていてそこまで言われないといけないんだろう.僕は何をその人にしたのかな.

大の大人が外で泣くなんて恥ずかしいことかもしれませんが,僕は泣いていました.心が辛かったからです.

心が辛かったから泣いたのですが,なにか悪いのかな.

あのまま,あの地獄のような飲み会にずっとヘラヘラしながら参加していたら,僕はきっと心が完全に死んで,もう立ち直れなくなってしまっていただろうと思います.本当に地獄だった.逃げてよかった.

飲み会って楽しい場所だよね,確か.なぜ僕は苦しい思いをしているんだろう.

 

 

力の無いものを侮辱し楽しむ人が,正しい人間だと僕は決して思いません.そんな人間は屑です.

嫌なことがあった時,嫌な場に居続ける必要は一つもありません.

自分を守ることが1番です.心を大切にすることが1番です.

君の心を守るための1番大事なことをみつけて,心がだめになりそうになったら,すぐに逃げてね.

君の心を平気で傷つけてくる悪いやつは,本当にそこらじゅうにいる.

自分の心を守ることができるのは自分だけ.

本当に辛くなったらさっと逃げる.

それを約束して欲しい.

 

(でも職場で人間関係で戦うのも非常に疲れるし,無駄な労力なので,僕はこれからもヘラヘラし続けると思います.それでも心のなかで「こいつは屑だ」と思っていますよ.)

音楽と想い出

きっと多くの人が人生と一緒に音楽が存在していて

例えば,音楽を聞くことで人生を振り返ることが出来るのだと思う

だから,青春の一部なのだと思うし,悲しい出来事を振り返ってしまったり,

逆に嬉しい出来事を想い出したりするのだろう

時には泣いてしまうのかもしれない

 

僕は音楽を聞き始めたのが非常に遅かったので,そういった人生と綿密な音楽というものが少ない

だから,「この音楽を聞いたら泣いてしまう」という現象が起こらない

中学3年生の時に友人に進められたBUMP OF CHICKENorbital period のflybyが1番好きだった.

CDプレイヤーなんて持っていなくて,ラジカセにセットして聞いていた.

身近にそういった音楽が少なく,その結果大好きなバンドのライブを見ても,あの頃を思い出すことが出来ないらしい.

プールと銃口のジンくんとかのツイート見てると,例えばベボベの音楽と青春が一致しているのがすごく羨ましい.

 

ふと,地獄だった日を思い出しそうになることがあるのだけれど,その時に音楽を聞いていなくてよかった.

 

 

people in the boxの旧市街を初めてTwitterで見かけてMVを見た時の衝撃は,今でも忘れられない.

あの時に,はっきりと僕の音楽人生が始まったと思っている.


People In The Box 旧市街

 

おそらく,大学受験の時だったか.一瞬で全部のアルバムを買って,脳内に取り込んだ.

それくらい衝撃だった.

 

 

話はずれたけれど.この頃からしっかり音楽を聞き始めたから,それまでの人生の音楽と想い出のリンクが欠如しているんだなとわかった.

例えば,好きなあの子とイヤホンを片耳にはめて一緒の音楽を聞くだったり,仲の良い友達とバイトで貯めたお金を使って好きなバンドのライブに行くだったり,その瞬間瞬間に存在した音楽が,想い出のトリガーになっているみたいだ.それがない.

※友達は少ないけれどいたし,今も仲の良い人たちもいると声高々に宣言したい.

だから,真正面から音楽を受け取ることが難しく,「自分の経験値になるか」で聞いてしまうことが多々ある(最近は減ってきたが).プラスにならなければ,聞けない.そういう受け取り方って,とても哀しいなって思う.

でも,そう生きてきたから簡単には変わらないし,きっと今後も変わらないんだなって思う.

だから,僕が想像つかないような音楽を作る人達と対バンすると本当に嬉しいし,仲良くなりたいなってなる.

あれ,またずれてきた.

 

音楽と想い出.

僕にはその「と」の繋がりが無いみたいだ.

バンドを続けていけば,その繋がりが出来て,僕も音楽で泣いたり笑ったりすることができるようになるのかな.

これで音楽を愛している,なんて言う権利は無いと思う.

なので,かろうじて音楽をする人として,良い音楽を作り続けなければ,敬意を表すために.

美しくはないのかもしれない

生命が脈動する時が一番美しいと思っていたけれども

実はそうではないのかもしれない

美しいと思い込みたいだけで,全然美しくないのかもしれない

 

人は人を平気で傷つけるし,平気で忘れる

昨日食べた晩御飯なんてまったく記憶にない

君と会話した内容だって,実は上の空なのかもしれない

一瞬一瞬を一生懸命に生きている人ってどれだけいるんだろう

「どうせ明日もかならず来る」と心のなかでは思ってしまっているんだろう

 

僕が傷つけてしまった人たちのことを

僕はずっと覚えていたい

その代わり,僕を傷つけた人たちを

僕はずっと覚えている

沢山のことに右往左往してしまって

僕は簡単に人を信じられなくなってしまった

(信じるふりはうまくなった)

 

この傷は責任だ

心の傷が治ることは無い

 

「どうせ君は嘘ついているんだろ」

「僕が気持ちよくなるよう,言葉を選んでいるんだろ.知っているぞ」

 

君の目がピエロのように見える時がある

僕は萎縮してしまう

なんて脆い生き物なんだ僕は

そして,自分を守るために自分に嘘をつく

(僕のために泣いてくれ)

 

感情が露わになるのは

一瞬の隙間なんだ

その瞬間をライブで,音楽できたらな.

 

日をまたぐ

とにかく誰かに伝えないといけないこと

伝えたいこと

それが漠然と頭の中を回転してしまっていて

何も形にならないことがよくある

 

空中に宙ぶらりんになってしまっていて

とても苦しいんだ,

地面に足がついていない状態で

空から落とされてただジタバタしているだけの存在

そういう時,とても息がしにくい

 

文字をただ起こしていて

この瞬間の気持ちとか感情とかが文章になって存在していて

それがインターネットの中を泳いでいく

そして誰かの目に留まる

 

僕の存在は,インターネットの中では無限に生きつづけることが出来るらしい

0と1の空間で,目視できるのはその瞬間の僕であり

その瞬間の僕が永遠にそこに生き続ける

 

動画や写真内の僕は笑っていたり,笑っていなかったりするけれど,

実際の今の僕は笑っていなかったり,笑っていたりする

 

誰かのことをインターネットで知ることは出来ないよ

全てはその人の長い時間の一瞬を切り取っているだけだから

なるべく,僕は僕のことを信用してくれている人と時間を共有していたい

僕はほとんどの人のことを信用できない

僕のごく一部を切り取って,知ったふりをして近づいてくる人達

ちゃんと【                         ,                                                         】

 

信用しているふりはできる

 

いつのまにか演技がうまくなってしまった

これを大人になるって言葉でまとめるのはアタマが悪いけれど.

雫が落ちたら、

雫が落ちたら、

僕らは狂ってしまうのかもしれない

哀しいは哀しいのままで

どうやって昇華するのか,その方法は誰も教えてはくれない

偉い人はどうして偉いんだっけ

優劣を付けるのは,全部僕ら人間だった

君と僕の間に大きな差は無いのに

なぜか大きな差が出来てしまっている

 

雫が落ちたら、

海ができるのかもしれない

大きな海に飲まれて沈む船が

なぜか美しく見えてしまった

太陽が沈んで,月が出てきて

さあて,僕らは次は何になるのだろうか

 

雫が落ちたら、

僕らは泣いてしまうのかもしれない

太陽の下で生きる僕らには

全部が光って見えているはずなのに

影ばかり追ってしまうなんてどうしようもないね

 

傘をさしたから雨が降って

雨が降ったから雲ができて

雲ができたから君が泣いて

君が泣いたから夜が来る.

さよならの朝に約束の花をかざろう

「さよならの朝に」の画像検索結果

ぎりぎりになって観ることができたので,自分の記録のためにもここに残しておきたい.

 

僕はこの映画を観始めた時,「永遠」がテーマであると思っていた.

長寿の一族である主人公と人の子が,出会い死ぬまでの話で,「永遠の命を多くの人は望むけれど,それは決して良いものではなく,異なる者同士が出会ってしまったら哀しみしか生まない」ということを伝えたいのかなと思っていた.

人の赤子を拾った主人公は,母として共に生活していき,いつか人の子が母の時間を通り過ぎてしまう.主人公は永遠を前に無力で,愛するものは歳を取っていき死ぬ.

冒頭で「外の世界に出たら,誰も愛しては行けないよ.本当の一人になってしまうからね」という長の言葉があった.

それは,長も昔人間の世界に足を踏み入れ,人間と愛し合い,そして愛して人が死ぬのを見届けたことがあったからだろう.

決して混じり合えない種族の隔たりがそこにはある.

 

(ただ,主人公の声があまりに甘ったるくて,感情移入が難しかった.

また,幼少期の人間の子の棒読み感も観てて辛くなってしまった.

それがもっと良ければ最高の映画だったな)

 

風景もとても美しく,音楽も最高だった.音楽はサントラまで購入した.エンディングの曲が特に好きで,ボーカルの方がrionosさんという方だった.

 

twitter.com

 

 

歴史を織り込む機織りの一族というのも,今までに無い新しさがあった.

人が生まれてから死ぬまで,それを1人の年を(ほぼ)取らない母が看取っていくということ,を伝えたかったらしい.レビューを見て知った.

 

人の子が主人公の手から離れ,人と愛し合い家族を作るところがあり,それと戦争シーンが同時進行していたので,僕はてっきり,またその母親が戦争で死に,子供を主人公が拾い育て,歴史は無限に繰り返す,ということを表現したいのかなと見ながら思っていたから,そこは予想を裏切られ意表を突かれた.

 

もう一回しっかり観たい映画だ.まだまだ自分の中で浅い部分が多く,とにかく忘れないうちに残しておこうと思った次第.

 

ーーーーーーーーーー

 

この作品を受けてできた音楽がノクターンの「機織り機」という曲だ.

 

music.apple.com

 

なぜ轟音を選んだのかだったり,映画を観たあとだったらさらによくわかるかもしれない.聴いてみてくれると嬉しいな.

 

 

 2019/9/22追記ーーー

僕のTLで話題になったので思い返してみた.

自分に子供ができたとして,その子が天寿を全うし死ぬまでをみることができる親はどれだけいるんだろう,と今ふと思った.普通だったら親が子を看取ることはできない.

 

エリアルという少年が異性を意識しだしたタイミングの,心の葛藤が辛かったのを映画を観ていた時に感じたのを思い出した.なぜレビュー当初に書かなかったのか.

親にしては幼い容姿であるマキアを,最初は親だと思うが,徐々に容姿が自分と近くなり異性として意識しだしてしまうところがかなりリアルだった.普通であれば親は自分の成長とともに年老いていくが,それがない.同世代の異性なのに親という矛盾がエリアルを苦しめていた.その心情描写がかなり細かく描かれていたと思う.

そして,自立し自身の家庭をもつエリアルは,最後人間として天寿を全うし死ぬ.

この生命の流れを見ることができたマキアの心はどういう感情だったのか.

僕には一生理解できないかもしれないな.

何かの生命が生まれ,死ぬ.

その一つの区切りを最初から最後まで見ることができたマキア.

それはとても美しい関係性だと思った.

 

エイリアが図らずとも人間との子を生み,それを捨て自分の人生を生きる選択をしたところ,ここは何か大きな衝撃があった.イオルフの民にとって,その出来事というのはヒビオルの小さな綻びや傷であるだけなのだ.長い生命の中のほんの一部であるのだ.

 

何もかもとりあえずでたらめな世界の所為にして生きていこう.

君を失うことも,正しい選択ができなかったかもしれないことも,誰かを傷つけてしまったことも全部.

それを見つけてしまったから

それを見つけてしまったから

その道を見つけた人は

見つけた責任があるって言われた

 

僕にとってそれは音楽で

みつけてしまったから,最後まで責任を取らないとねって

すごい重い言葉だ

 

見つけた責任を果たさないと

夢に失礼だ

簡単に投げ出していいものじゃない

 

 

思えば小学校2年生の国語の時間に

詩を書く時間があって

それはとても楽しかったな

 

先生はその中から優秀な作品を選んで褒める

そこに僕の詩は無かったな

 

まだ覚えている

太鼓の詩だった

どんどんどん

どんどんどん

僕の詩は無かったな

 

その頃の僕の基準は先生だったから

先生に褒められなかった僕の詩は良くない詩なんだって

思ってしまった

そんなことないのに

 

他人の価値観に合うか合わないかの話だ

 

僕が愛してあげなかったあの詩は

もう一生愛されることがないんだ

 

僕はもう忘れてしまった

 

どうか僕の記憶が永遠に残っていれば

 

あの時の僕が   僕であることを信じてあげていれば

 

あの日の自分に もう誰も墓を立てることは出来ない.