時計の秒針音

少しずつコツコツ意味を貯めてく

美しくはないのかもしれない

生命が脈動する時が一番美しいと思っていたけれども

実はそうではないのかもしれない

美しいと思い込みたいだけで,全然美しくないのかもしれない

 

人は人を平気で傷つけるし,平気で忘れる

昨日食べた晩御飯なんてまったく記憶にない

君と会話した内容だって,実は上の空なのかもしれない

一瞬一瞬を一生懸命に生きている人ってどれだけいるんだろう

「どうせ明日もかならず来る」と心のなかでは思ってしまっているんだろう

 

僕が傷つけてしまった人たちのことを

僕はずっと覚えていたい

その代わり,僕を傷つけた人たちを

僕はずっと覚えている

沢山のことに右往左往してしまって

僕は簡単に人を信じられなくなってしまった

(信じるふりはうまくなった)

 

この傷は責任だ

心の傷が治ることは無い

 

「どうせ君は嘘ついているんだろ」

「僕が気持ちよくなるよう,言葉を選んでいるんだろ.知っているぞ」

 

君の目がピエロのように見える時がある

僕は萎縮してしまう

なんて脆い生き物なんだ僕は

そして,自分を守るために自分に嘘をつく

(僕のために泣いてくれ)

 

感情が露わになるのは

一瞬の隙間なんだ

その瞬間をライブで,音楽できたらな.

 

日をまたぐ

とにかく誰かに伝えないといけないこと

伝えたいこと

それが漠然と頭の中を回転してしまっていて

何も形にならないことがよくある

 

空中に宙ぶらりんになってしまっていて

とても苦しいんだ,

地面に足がついていない状態で

空から落とされてただジタバタしているだけの存在

そういう時,とても息がしにくい

 

文字をただ起こしていて

この瞬間の気持ちとか感情とかが文章になって存在していて

それがインターネットの中を泳いでいく

そして誰かの目に留まる

 

僕の存在は,インターネットの中では無限に生きつづけることが出来るらしい

0と1の空間で,目視できるのはその瞬間の僕であり

その瞬間の僕が永遠にそこに生き続ける

 

動画や写真内の僕は笑っていたり,笑っていなかったりするけれど,

実際の今の僕は笑っていなかったり,笑っていたりする

 

誰かのことをインターネットで知ることは出来ないよ

全てはその人の長い時間の一瞬を切り取っているだけだから

なるべく,僕は僕のことを信用してくれている人と時間を共有していたい

僕はほとんどの人のことを信用できない

僕のごく一部を切り取って,知ったふりをして近づいてくる人達

ちゃんと【                         ,                                                         】

 

信用しているふりはできる

 

いつのまにか演技がうまくなってしまった

これを大人になるって言葉でまとめるのはアタマが悪いけれど.

雫が落ちたら、

雫が落ちたら、

僕らは狂ってしまうのかもしれない

哀しいは哀しいのままで

どうやって昇華するのか,その方法は誰も教えてはくれない

偉い人はどうして偉いんだっけ

優劣を付けるのは,全部僕ら人間だった

君と僕の間に大きな差は無いのに

なぜか大きな差が出来てしまっている

 

雫が落ちたら、

海ができるのかもしれない

大きな海に飲まれて沈む船が

なぜか美しく見えてしまった

太陽が沈んで,月が出てきて

さあて,僕らは次は何になるのだろうか

 

雫が落ちたら、

僕らは泣いてしまうのかもしれない

太陽の下で生きる僕らには

全部が光って見えているはずなのに

影ばかり追ってしまうなんてどうしようもないね

 

傘をさしたから雨が降って

雨が降ったから雲ができて

雲ができたから君が泣いて

君が泣いたから夜が来る.

さよならの朝に約束の花をかざろう

「さよならの朝に」の画像検索結果

ぎりぎりになって観ることができたので,自分の記録のためにもここに残しておきたい.

 

僕はこの映画を観始めた時,「永遠」がテーマであると思っていた.

長寿の一族である主人公と人の子が,出会い死ぬまでの話で,「永遠の命を多くの人は望むけれど,それは決して良いものではなく,異なる者同士が出会ってしまったら哀しみしか生まない」ということを伝えたいのかなと思っていた.

人の赤子を拾った主人公は,母として共に生活していき,いつか人の子が母の時間を通り過ぎてしまう.主人公は永遠を前に無力で,愛するものは歳を取っていき死ぬ.

冒頭で「外の世界に出たら,誰も愛しては行けないよ.本当の一人になってしまうからね」という長の言葉があった.

それは,長も昔人間の世界に足を踏み入れ,人間と愛し合い,そして愛して人が死ぬのを見届けたことがあったからだろう.

決して混じり合えない種族の隔たりがそこにはある.

 

(ただ,主人公の声があまりに甘ったるくて,感情移入が難しかった.

また,幼少期の人間の子の棒読み感も観てて辛くなってしまった.

それがもっと良ければ最高の映画だったな)

 

風景もとても美しく,音楽も最高だった.音楽はサントラまで購入した.エンディングの曲が特に好きで,ボーカルの方がrionosさんという方だった.

 

twitter.com

 

 

歴史を織り込む機織りの一族というのも,今までに無い新しさがあった.

人が生まれてから死ぬまで,それを1人の年を(ほぼ)取らない母が看取っていくということ,を伝えたかったらしい.レビューを見て知った.

 

人の子が主人公の手から離れ,人と愛し合い家族を作るところがあり,それと戦争シーンが同時進行していたので,僕はてっきり,またその母親が戦争で死に,子供を主人公が拾い育て,歴史は無限に繰り返す,ということを表現したいのかなと見ながら思っていたから,そこは予想を裏切られ意表を突かれた.

 

もう一回しっかり観たい映画だ.まだまだ自分の中で浅い部分が多く,とにかく忘れないうちに残しておこうと思った次第.

 

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この作品を受けてできた音楽がノクターンの「機織り機」という曲だ.

 

music.apple.com

 

なぜ轟音を選んだのかだったり,映画を観たあとだったらさらによくわかるかもしれない.聴いてみてくれると嬉しいな.

 

 

 2019/9/22追記ーーー

僕のTLで話題になったので思い返してみた.

自分に子供ができたとして,その子が天寿を全うし死ぬまでをみることができる親はどれだけいるんだろう,と今ふと思った.普通だったら親が子を看取ることはできない.

 

エリアルという少年が異性を意識しだしたタイミングの,心の葛藤が辛かったのを映画を観ていた時に感じたのを思い出した.なぜレビュー当初に書かなかったのか.

親にしては幼い容姿であるマキアを,最初は親だと思うが,徐々に容姿が自分と近くなり異性として意識しだしてしまうところがかなりリアルだった.普通であれば親は自分の成長とともに年老いていくが,それがない.同世代の異性なのに親という矛盾がエリアルを苦しめていた.その心情描写がかなり細かく描かれていたと思う.

そして,自立し自身の家庭をもつエリアルは,最後人間として天寿を全うし死ぬ.

この生命の流れを見ることができたマキアの心はどういう感情だったのか.

僕には一生理解できないかもしれないな.

何かの生命が生まれ,死ぬ.

その一つの区切りを最初から最後まで見ることができたマキア.

それはとても美しい関係性だと思った.

 

エイリアが図らずとも人間との子を生み,それを捨て自分の人生を生きる選択をしたところ,ここは何か大きな衝撃があった.イオルフの民にとって,その出来事というのはヒビオルの小さな綻びや傷であるだけなのだ.長い生命の中のほんの一部であるのだ.

 

何もかもとりあえずでたらめな世界の所為にして生きていこう.

君を失うことも,正しい選択ができなかったかもしれないことも,誰かを傷つけてしまったことも全部.

それを見つけてしまったから

それを見つけてしまったから

その道を見つけた人は

見つけた責任があるって言われた

 

僕にとってそれは音楽で

みつけてしまったから,最後まで責任を取らないとねって

すごい重い言葉だ

 

見つけた責任を果たさないと

夢に失礼だ

簡単に投げ出していいものじゃない

 

 

思えば小学校2年生の国語の時間に

詩を書く時間があって

それはとても楽しかったな

 

先生はその中から優秀な作品を選んで褒める

そこに僕の詩は無かったな

 

まだ覚えている

太鼓の詩だった

どんどんどん

どんどんどん

僕の詩は無かったな

 

その頃の僕の基準は先生だったから

先生に褒められなかった僕の詩は良くない詩なんだって

思ってしまった

そんなことないのに

 

他人の価値観に合うか合わないかの話だ

 

僕が愛してあげなかったあの詩は

もう一生愛されることがないんだ

 

僕はもう忘れてしまった

 

どうか僕の記憶が永遠に残っていれば

 

あの時の僕が   僕であることを信じてあげていれば

 

あの日の自分に もう誰も墓を立てることは出来ない.

 

音楽はビジネスか,手紙か,芸術か

なんだか最近,調子が悪くて,

作りたい音楽はあるのに,何故か頭から外に出てこない息苦しさに襲われている.

 

不安定な状況と,沢山の決断に頭がパンクしそうで,

好きな詩集を読むことも疲れてしまって,

すぐに眠りについてしまう.

 

 

 

ふと,自分の音楽を聞く時があって,「やっぱりこれはわけがわからないな」と思った.

 

例えば,雨傘と天気雨なら,「光が射しながら雨が降る.僕らは空に染まる」という詩があって,

これに自分を重ねたりすることって,誰も出来ないんじゃないかなって思う.

誰かに,何か自分の思いを伝えたいわけでもない.

僕らの音楽は芸術だ.

 

音楽には色んな種類があるけれども,なんだか3種類に分けても良い気がするんだ.

 

お客さんが好きな音楽を作るビジネス的な音楽と.

 

自分の思いの丈を伝えたい手紙的な音楽と.

 

ただ自分の好きなように作る芸術的音楽.

 

自分の思いを相手に伝えるって僕には全く理解できなくて,すごく疲れてしまう.

僕には僕の考えがあって,誰かには誰かの考えがあって,それでいいのに,「これはこうである」って言うのをぶつけてくるのってとても疲れる.

 

「お前ら手を挙げれるかーーー」って言うのもさ,手を挙げたければ自分で挙げるし,手拍子したかったら自分でするし,なんだかな.

 

お客さんのための音楽っていうのも有りなのかもしれないけれど,僕的には違うかなと思う.完全に商売したいならそれで良いと思うんだけれど,そこには作り手のぐちゃぐちゃした物は一個もないよね.「こういうの好きなんでしょ?はいどうぞ」って感じが見えてしまって,僕は聞けない,そういう音楽.

それで喜んでしまうのもなんだかなぁ.

 

なんで音楽をやっているのかって,沢山のバンドマンがMCとかで話しているけれど,どうでも良いよね.

そんなの楽しいからに決まってるし,自分が楽しいことを他の人も一緒になって楽しくなれるなら,そんな最高なことはないよね.

悲しい音楽を聞いて,悲しい気分になって泣いちゃうのも楽しいよね.

懐かしい音楽を聞いて,夕焼けが目に染みるのも楽しいよね.

だからやっているんだよね,僕らはきっと.

だから音楽聞いてるんだよねみんな.

 

それってとても素敵なことだ.

 

何が芸術かって,わからないけれど,僕は僕の信じることをしたいし,それにみんな付いてきてくれれば良いな,と思っているつねづね.

勉強

勉強を振り返ると,僕は自分のものにするまでに大変時間がかかっていた.

塾や学校では,問題の解き方は教えてくれるけれども,勉強の仕方を教えてくれる人はあまりいないのではないだろうか.

問題に対するアプローチ,つまり戦い方を教えてはくれるんだけれど,武器の持ち方や作り方を教えてくれる人に出会ったことはなかったな.

魚を与えるんじゃなくて,釣り竿を与えて魚を自分で釣れるようにする.みたいなことわざあったよね.
自分で武器を作るまでに,僕はとても時間がかかってしまい,それを扱う時間がまたかかり,結局不完全なまま立ち向かうことが多かった.

 

自分の頭の中で,沢山処理して,自分の形を作って初めて上手く使えるようになるし,使えるようになったら応用ができるようになる.

 

なんでもそうで,まずは戦うための武器を作ることが大切だ.

 

 

と,受験期の弟を見て思う.